エドガーは、我が耳が信じられなかった。 ロックがトレジャーハンティング中に大怪我をし重篤という、噂を聞いたのだ。 場所は、ナルシェ東の山脈の麓の小さな集落だという。もう二ヶ月も、その集落の診療所で絶対安静を強いられているとのことだった。 歴史上で「第二次魔大戦」と記されるようになった戦いの日々から、十数年の月日が流れた。 仲間たちは、新しい生活を送るため、あるいは己の使命を果たすため、それぞれの道を歩むこととなった。 ロックは、冒険中にセリスとの愛を育んでいた。そして、平和の訪れと同時に新しい生命が彼女に宿ったことを知らされ、彼女と共に人生を歩んでいくことを決意したのだ。 当然、それは一生続くものだと思っていた。 しかし――…。 ここ数年、些細な心のすれ違いから衝突が絶えず、悲しいかな、ふたりは生活を別にすることとなってしまっていたのだった。 再び孤独な身となった、そんなロックが、瀕死の重傷を負っていたという。 抑えきれない不安と、どうしようもない焦燥感が、じわじわとエドガーを侵食する。 今すぐにでも、ロックの元に駆けつけたい。 そして、歳を取ってカンが鈍ったんじゃないか、と、軽口を叩いてやりたい。 しかし今のエドガーにとって、そうすることは容易ではなかった。 エドガーは、この世界で唯一、正常に機能する国家の王なのである。終戦から十数年が経ったとはいえ、世界が受けた傷跡は、そう簡単に癒えるものではない。 諸所の街や村、自治体の復興の支援をおこない、先陣を切って世界をあるべき方向に導いていかねばならぬ立場にある今、山のように積まれた職務を放り出し、はるか海を越えて、個人的な友人の見舞いに出掛けることは憚れるように思われたのだ。 しかし、自分が出向くことは不可能に近いが、招き入れることならば可能である。 エドガーは、ロックの容態が落ち着いてからフィガロに移送し、傷が癒えるまで滞在させたい旨の書簡を持たせ、使者をその偏狭の地へと送り出したのだった――…。 |
ロックが待つ尖塔の小部屋へと、エドガーは緊張した面持ちで歩いていた。 砂を踏みしめる靴音が、やけに重苦しく、軋んだように感じられる。 使者が診療所に到着したと思われる直後、フィガロへの伝書鳩が放たれた。ロックと共に、すぐに帰還する旨の内容であった。 だが、そこにはさらに信じがたい…信じたくないことも記されていたのだ。 「あ、エドガー」 部屋に入ってきたエドガーに気づき、ロックはかぶりついていた果物から顔を上げた。 「ひさしぶりだな！…っていうか、ありがとうな。面倒見てくれるって」 寝台の上に身を起こしたままそう言って笑ってみせるロックは、少しばかり痩せたようだったが、それでも以前とさほど変わってはいない印象だった。四十路も間近だというはずなのに、そんな様子はまったく感じさせない容貌である。場合によっては、二十歳そこそこだと言っても通用するかもしれない。 エドガーは寝台の横の椅子に腰を下ろし、持ってきた焼菓子をロックに渡してやった。 「あぁ…まぁ。俺がおまえにしてやれることって、これくらいしかないからな」 「いや、本当に助かるよ。恩に着る」 「…………」 こうして見ていると、ロックは本当に何も変わっていないように感じられる。 正直なところ、手紙の内容も、使者の言葉も、悪い冗談なのではないかと思いたくなる。 「あ、そういやおまえ、まだ結婚してないんだよなぁ」 果物を手振りで催促しながら、ロックは思い出したように笑う。 「どこの街に行っても、フィガロの王様はもう結構なお歳なのにまだお后さまをお迎えにならないのかって、みんな心配してるんだぜ？」 「…繊細な問題だからな、おまえみたいに軽率なマネはできないんだよ」 エドガーの意図的な揶揄に、ロックは厳しいなと、苦笑いした。 「だいたい…俺には無理だったんだよ、ひとつ所に留まり続けるなんてさ」 自嘲気味に、ロックは呟く。 「今思うと俺たちは、熱に浮かされてたようなもんだったんじゃないかと思うんだ」 「…………」 「セリスにしたって俺にしたって、勢いに任せて突っ走ったっていうかさ…」 「…ロック！！」 確かに、ロックの言うことも正しいのかもしれない。 若干18歳の少女でありながら、ガストラ帝国の人造魔導士として将軍にまで登りつめたセリス。そのセリスが帝国から離反し、絶望の中からロックに救われ、恋心を募らせていった。 その様子は、傍目からみてもはっきりと判るほどのものであったから、美しい彼女のそれが自分に向けられていると感じたならば、男として喜ばしいことには違いない。 しかし今がどうであろうと、昔の自分たちを否定するようなことを言うのは悲しすぎる。 「ロック…あのときお互いを愛しいと思った気持ちに、偽りはないはずだろう…？」 「――そうだよな…ごめん」 瞳を伏せ、ロックは手にしていた葡萄を一粒むしり、そっと唇に押し込んだ。 「でも、セリスと別れて…冒険を求めた結果が、このザマだもんなぁ…」 「…………」 寝台の上のロックのからだには、綿の肌着の下にいくつもの包帯が巻かれていた。包帯がない部分にも、治癒した裂傷の痕や青い痣などがそこかしこに見て取れる。 ふとエドガーは、ロックの手が果汁に濡れていることに気づいて席を立った。 「手を拭くものを持ってこよう、ちょっと待ってろ」 「…悪いな」 棚の引き戸から手頃な布を取りだし、部屋の隅の水がめへと向かうエドガーを見やりながら、ロックはさらに葡萄の粒をもいでは口の中に放り込んでいった。 「あっ…」 ロックの手から、葡萄が一粒こぼれ落ちた。 掛布の上を転がってゆくそれを追いかけ、ロックは身を乗り出す。 「―――う、わッ…！！？」 「大丈夫かっ、ロック………！？」 鈍い落下音と、ロックの呻き声。 反射的に、エドガーは振り向く。 「…―――痛…ッ……」 寝台から、ロックは落ちていた。 だが、その姿は――。 うつむいたまま、ロックは握り締めた拳を震わせる。 ロックの脚は、なかった。 両腿とも、脚の付け根から15ｃｍほどを残し、無くなっていたのだ。 あらかじめ知らされ、心の準備はしていたつもりだった。 しかし、実際に目の当たりにしてしまうと――…。 エドガーは言葉もなく、息を呑んで立ち尽くすことしか出来なかった。 |
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「トレジャーハンティング中に、ロック様は落石に巻き込まれたようなのです…」 ロックを連れて帰還した使者は、言いにくそうに口を開く。 簡単にまとめると、こういうことだった。 険しい山岳地帯の洞窟を探索中に、ロックは事故に遭ったらしかった。 転落したロックの上には、巨大な岩の塊がのしかかっていた。自力で動かすことはおろか、大人ふたりがかりでも難しいと思われるほどの巨岩が、ロックの脚を押し潰していたというのだ。 たまたま通りかかった地元の猟師たちの話によると、一体どれだけの時間をこの状態で過ごさざるを得なかったのか、なんとか逃れようと必死にもがいた形跡が痛々しかったという。 地面を掻きすぎて爪は剥がれ、叫びすぎて声は枯れ、疲労と憔悴でやつれ切っていた。 すぐさま救援隊を呼んで自分たちの集落の診療所に運んだものの、その容態は極めて深刻なものであったそうだ。 皮膚は裂け、肉は削げ落ち、骨は粉々に砕け散っていた。 異物が至るところに突き刺さり、神経は断絶し、筋肉は潰れていた。 診療所の医療技術では、治療などできるはずもなかった。 生体分野に高い知識のある――例えば、帝国の研究者だった人物などであれば、あるいは可能だったのかもしれない。だが、こんな偏狭の村にそういうあてがある者などいるはずもなかった。また、仮にいたとしても、この時勢では、どこにいるかどころか生き残っているかすら定かではない人物を探し出して招くことなど、不可能に近かった。さらに、万が一消息が判明したとしても、とにもかくにも時間がなかった。 激しく損傷した肉体を、充分な処置もなく放置していては、やがては壊死し、腐り果ててしまう。そうなってしまっては、無事な部分の細胞にさえ影響が出てしまうのだ。 そうなる前に、悪い部分は取り去ってしまわねばならない。 診療所の医師は、痛みに暴れぬようにロックの胴や腕をぐるぐる巻きに診察台に縛りつけた。そして、村の木こりに協力を依頼し、ロックの脚を、斧で切断したのだそうだ――…。 |
「はは…俺って、なんなんだろうなぁ…」 床に転げ落ちたロックは、声を震わせながら身を起こす。 ロックの腕には、あらたに青い痣が生じていた。 診療所で2ヶ月以上も療養していたのにも関わらず、からだのあちこちに痛々しく包帯が巻かれていたのは、こういうことだったのだ。完全に治りきらないうちに、次々と新しい生傷が増えてゆく。 エドガーは、ロックに駆け寄った。 「大丈夫か……」 同じ視線の高さへと、しゃがみこんで問いかける。 ロックは、搾り出すように呟いた。 「ないはずの足が、いまだに疼くんだ…バカみたいだろ…」 「……ロック――…」 本当に、なんと声をかけたら良いのか、エドガーにはわからなかった。 どんな言葉を選んでも、ロックを励ますことができるとは到底思えなかった。 「……ロック、このままだと冷える。上に戻ろう…」 エドガーはロックの脇に腕を差し入れ、抱きかかえる。 そして、そのまま、ゆっくりと持ち上げる。 脚がないぶん、ロックは軽かった。 「……ロック？」 寝台の上に降ろしても、ロックはエドガーの背にまわした腕を解かなかった。 「…おい、どうした――…」 ロックは、声を押し殺して嗚咽していた。 エドガーの胸に額を押しつけ、肩を震わせていた。 …――どれくらい、そうしていただろうか。 ふいに、ロックは顔をあげた。 うるんだ瞳で、エドガーの顔を見上げる。 「……………」 なにか言いたげに、ロックの唇が動いた。 「…どうした、言ってみろ…」 「頼む…もう、殺してくれよ…おまえの手で…」 かすれた声で、ロックは呟く。 「俺なんか、もう…生きてたって…しょうがないんだ…」 「…馬鹿なことを、言うんじゃない！！！」 エドガーの怒声に、ロックは一瞬びくりと身を竦ませた。 「でも…俺にはもう、なにも…。なんにも…残ってなんかないんだよ…」 「甘ったれるのも、いい加減にしろ！！！」 「何も出来ないだと？本当にそうか？本当にそうだと思っているのか！？」 ロックは、唇をかみしめて顔をそらす。 「おまえは…また逃げているんじゃないか、自分の現実から！！」 その言葉に、ロックは半笑いの表情になった。 しかし、その瞳にはいっぱいに涙が浮かび、こぼれそうだった。 「現実…？これが、現実じゃないか…」 嗚咽を必死に堪えているがため、声がみっともなく震える。 「こんな俺なんて…もう、旅なんて出来ない…どこにも行けやしないんだ…」 「そんなことはない、行けるようになる…いや、行けるようにしてやる！」 「どうやって！？無理じゃないか、どう考えても！！」 「俺が…必ず、おまえの脚を造ってやる…！」 ハッと息をのんで、ロックはエドガーを見つめる。 「いいか…フィガロの持てる最新の技術を駆使し、いつかきっと、おまえの脚となるものを、俺が必ず造りあげてみせる…！！」 「……――――」 「だから…卑屈になることは、絶対にこの俺が赦さない…！」 「……………」 「……赦さないぞ…！！」 沈黙したまま、ロックは涙を流していた。 大粒の涙がとめどなく溢れ、幾すじも頬を濡らしては零れ落ちる。 「ロック…泣いていいんだ…思い切り、泣いたらいい…」 エドガーは、震える肩をそっと抱き寄せ囁いた。 「泣き疲れたら…少し休んで、そしてまた前に歩き出せばいい…」 「……エド、ガー…」 「――おまえの冒険譚を、また聴かせて欲しいんだ」 「ありがとう…エドガー、ありが……っ…」 温かい腕に包みこまれて、ロックは号泣した。 エドガーは、その背中をいつまでも優しく撫でてやった。 |