暗く深い洞窟の奥底で、ロックはひとりたたずんでいた。 熱くたぎる溶岩にかこまれ、眼前にはひとつの宝箱。 ごくり。
むせ返るほどの熱気に眩みそうになる意識を必死で繋ぎ止めながら、ロックはただ宝箱をじっと見据えていた。――いや、意識が眩みそうになるのは、なにも洞窟の熱気や最深部の酸素欠乏によるものだけではない。彼自身、肉体的疲労もすでに限界を越えているのだ。
ロックは顎をつたう汗を無造作に腕ではらい、陽炎のごとく揺れる宝箱へと、その一歩を踏み出した。
ついに、探しあてた。
ロックの脳裏に、花のような微笑みを浮かべた可憐な少女が鮮やかによみがえる。今はもう、その瞳に世界を映すことも、その唇で未来を紡ぐことも、その身で生命の息吹を感じることも叶わなくなってしまった、愛しい少女。
宝箱の元まで到達すると、ロックは注意深くそれを調べた。蓋の留め金細工のところに、帝国のシンボルマークが彫られている。 間違いない。この中に“秘宝”がある。 ロックの鼓動が高鳴った。
「――――…!」 宝箱の中から溢れ出る、淡いひかり。
「“魂を蘇らせる伝説の秘宝”って――、魔石…だったのか…」 思ってもいなかった事実に、ロックは僅かばかり驚愕した。だが、これならばその言い伝えにも信憑性がある。幻獣がその身に宿る魔力を結晶化させた“魔石”なら、本当に蘇生は可能かもしれない――…! ロックは魔石に手を伸ばした。
「!!!」 ロックの手のひらに魔石が触れた瞬間、ロックの脳裏に鮮やかな不死鳥のイメージが浮かびあがった。
これならば。
ロックは、手中の魔石を凝視した。
「よし…待ってろよ、レイチェル…」 ロックは道中に購入していたテレポストーンのちからを解き放った。
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2
「くそっ…もっと速く動かないのかよ!?」 紅くにじむ水平線を睨み、ロックは声を荒げた。
「そうは言ってもな…坊主。この御時世だ。向こうに渡れるだけでもありがてェと思った方がいい。俺なんざ出航まで1週間ばかり待ってたんだ。おめェは運良くこの船が出航する直前に来たんだ。おめェは運がいい方なんだぜェ?」 「…そんなの、わかってるさ…!」 ロックは身をひるがえすと、船室の方へと歩き出した。
そんなこと、俺にだって充分わかっている。
ロックは薄汚れた簡易寝台に突っ伏して、唇を噛んだ。
「……くそっ!」 なにも出来ない自分がもどかしい。
自分がいくら焦ったって状況が好転しないのだという事は、痛いほどわかっている。けれど秘宝を入手した今、一刻も早くレイチェルの元へと帰りたい。
ケフカの裁きのいかづちによって、およそ2年前に世界は引き裂かれた。セッツァーの飛空挺も砕け、仲間もみんな散り散りになったようだった。
大陸はいくつかのプレートから成っていて、気の遠くなるような時間をかけてそれが動くことによって地形は少しずつ変形する、という記述をロックは何かの書物で読んだことがあった。しかし、それがたった一瞬で、しかもその目でその瞬間を見てしまったのだ。空の、高いとこから。さながら神の視点のように。
意識を取り戻し荒野をさまよっているうち、見覚えのある建造物が見えた。
レイチェルは、無事だった。
世界が壊れても、自分は生きている。
秘宝の情報をあらたに入手したロックは、もと来た道を引き返してジドールへ戻り、やがて元帝国領へと渡ったのだ。
これで、真実が取り戻せる――。
遅くなっちまって、ごめんな。
「……待ってろよ、レイチェル――…」 ロックは瞳を閉じ、そうつぶやいていた。
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3
この日を、夢にまで見ていた。 本当かどうかもわからない、子供だましのおとぎ話だけを心の支えにして、今までなんとか“生きること”を自分に赦してきた。 目の前には、いまだ深い眠りの中にいる少女。
レイチェルが横たわっている寝台のそばにそっと跪き、ロックはすり切れた革手袋を外した。しんと張りつめた空気があたりに漂う。
「くそ…っ、やっぱりヒビが入っているから…?」 ロックの表情に次第に焦りの色が浮かんできた。
「たのむ、たのむから、力を――…!!」 その時、魔石に異変が起こった。
………――――……!!
かすかな音色を奏で、それは砕け散った。
「な……ッ!?」 ロックの表情が、かたく凍りついた。
何が起こったのか、ロックは理解できなかった。 ふとレイチェルを見やるが、彼女には何の変化もない。
「そんな――…!!」 ロックは弾かれたように砕けた魔石をかき集めはじめた。鋭く尖った切り口が手指を傷つけるが、そんなことに構っている余裕はない。
ロックの腕を、一筋のあたたかい朱の流れが伝った。
傷口に手をかざすと、ロックは喉の奥で呪文の詠唱をはじめた。
ロックの脳裏に、信じたくない仮説が浮かび上がる。
まさか…魔導の力が、失われた?
いずれにせよ、ようやく手に入れた“秘宝”は失われてしまった。
真実は、もう還らない――…。
「レイチェル――!!!」 ロックは横たわるレイチェルの上に泣き崩れんとした。
「え……」 恐る恐る、ロックは顔を上げる。
「そ…そんな…そんな…!!」 ロックは大きくかぶりを振って後ずさる。 いつまでも綺麗な、俺のレイチェル。
気を取り直したロックは、それでも微かに震えながらレイチェルの腕を慎重に動かした。絹のブラウス越しに触れるそれはとても細かったが、血の通わないその物体は、鉛のように重く感じられた。
「!!」 その瞬間、彼女の腕がずるりと寝台の外へと落ちかかった。ロックはあわててそれを受け止めようと腕の下部に手をそえる。だが、落下の衝撃が手のひらに感じられた刹那、その重心はさらにずれ、腕は床へと落下を続けようとする。
――レイチェルの腕が、もげたのだ。 ブラウスの肩口と手首を支えるロックの手との間で、付け根からもげた腕が引っかかり、ハンモックのように揺れている。 「…―――……――…!!!」 ロックの喉から、声にならない叫びが漏れる。
…――こんな、こんなことって……。 ロックは、蒼白になって後ずさる。
俺は、この手で。
俺は、この足で。
ロックの瞳から、大粒の涙があふれだした。頬を伝ってこぼれ落ちたそれは、床に散らばる血に塗れた魔石の破片に降りそそぎ、あたりに四散する。
ごめんな、レイチェル。
ほんとうに、ごめんな。
ほんとうに、ごめん――…。
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4
微笑みは、やがて遠く。 追いかけど、決して届かず。 想い出は、あわく儚く。
薄暗い地下室へと続く階段に、乾いた靴音がふたつ、かすかに響く。
「どうしたの――…」
女の問いかけを遮るように、男は口を開いた。 「……引き返そう――…」 女の場所からはちょうど壁が視界を阻んでおり、階下を覗くことが出来ない。男の表情がどことなく堅いことに胸騒ぎを覚え、女は男を押しやり身を乗り出した。 「――見るなっ…!!」 男の制止も虚しく、女は階下の状況をその瞳に捉えてしまった。
「――…やっぱり、ここに戻って来たのね……」
階下にひろがる、甘い香り。
その中央に倒れている男に向かい、女は語りかける。
その部屋は、見渡すかぎりが真紅に染まっていた。
女は、倒れてる男のそばに跪くと、その頬にそっと触れた。
男の手には、鋭く尖った魔石のかけら。
もの言わぬ姿になった愛しい男に、それでも女は語りかける。 「…私たちでは…あなたの支えに、なれなかったの…?」
男にとっては、少女がすべてだった。
「すべてが終わって…これからなのに。これから、すべてが始まるのに。どうして、待っていてくれなかったの――…!!」 だが、彼のすべては終わってしまった――。
背後でたたずむ男は、それでも黙って女を見つめていた。 自分も、女と同じ思いだ。
けれど、それは出来ない。
――――滑稽だ。
澱んだ空気の満ちる地下室に、かすかに遠く大砲の音が響く。おそらくは、狂魔導士が潰えたことを知った民衆らが放った祝砲であろう。
新しい時代の、幕開け。 理不尽な恐怖におびえる日々は去った。胸に抱くのは希望と未来。人々はこれから荒野となった大地を開拓し、あらたなる歴史を築きあげてゆくのだ。
世界が壊れても、人々は強く生きる。
希望に満ちるはずの世界でも、彼には絶望しかなかったのだろうか。未来をすべて投げ出してしまえるほど、彼女の存在は偉大なるものだったのだろうか。そうまでして彼女を求め、いったい彼は何を得ようとしていたのだろうか。 だが、それを知ることは決して叶わない。
女が、倒れた男のそばに落ちている布を手に取った。血溜まりに落ちていたそれを持ち上げると、紅いしずくが端からぽたりと落ちる。
女はクスッと嗤った。
はるか遠くで再び、祝砲が鳴る。
男は女の手を引き、地下室を後にした。
世界が壊れても、ヒトは生きる。
――どこまでも、永遠に――…。
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