半弦の月
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 穢れや濁りのまったくない綺麗に澄んだ水は、生命あるものが棲みつくことのできない、死の水なのだ――…。
 禁欲的なまでの純粋さと鏡のような静寂は、ただその空間を凍りつかせ、移ろいゆくことを拒絶しているかのようにすら感じさせる。

 城の外堀に引かれた豊かな水の流れを見おろしながら、エドガーはふとそんなことを考えていた。
 

 東方の広大な平原に1200年の昔より繁栄してきたと伝えられる、格式高い武士の国家・ドマ。豊かな水の恵みに育まれたこの土地は、己の生まれ育った砂漠の王国・フィガロとは、まったく異なった風土や文化を有していた。

 厳しい乾燥地帯にあるフィガロにとって、水はそれだけで神聖かつ貴重な物質である。生命をつなぐための、かけがえのない存在。
 水脈資源の乏しいフィガロに於いて、水をイメージさせるブルーが古来より尊ばれていることからも、その重要性はあきらかであると言えよう。

 ヒトは、水がなければ生きてはいけない。
 それほどまでに、ヒトと水とは密接な関係があるのだ。

 ドマの民たちの生命を繋いでいたであろう、豊かな水の流れを見つめたまま、エドガーは皮肉なものだな、と唇をゆがめる。

 もう1年以上も前、ケフカはこの外堀に流れ込む水の源、ドマ河の上流に毒を放ったのだ。
 強固な籠城を得意とするドマの戦術の裏をかく、卑劣な罠。

 水辺には、人の思念を吸い寄せるちからもあると聞く。
 ケフカの放った毒で命を落とした大勢のドマの民たちの思念も、この水に閉じこめられているのだろうか。

 訪れる者に奇怪な夢を見せる、悪夢の城。
 今では、そんな噂までもがまことしやかに囁かれている。
 

 ――風が、冷たい。

 暗く揺れる水平線を見やりながら、エドガーはゆっくりと城内へと戻っていった。
 

 砂漠の地で育ったエドガーにとって、豊かな水と触れ合う機会というのは、そうあるものではなかった。
 城から小一時間ほどのところにある小さなオアシスか、幼い頃に時々連れられていった、コーリンゲンの浜辺くらいなものであった。

 ――コーリンゲン。

 その地の名を思い浮かべ、エドガーの脳裏にある男の面影がよぎる。

 世界が砕け、散り散りになった仲間たちがひとり、またひとりと戻ってくる中、あいつの消息だけが、依然として知れない。

 いったい、どこをどうしているのか。

 屈託のない笑顔を思い出しながら、エドガーは瞳を閉じた。
 

 


 

「――コーリンゲンか、懐かしいな」
 そう呟いたエドガーに、ロックは意外そうに目をしばたかせる。

「行ったこと、あるのか?」
「あぁ、小さい頃にな。ばあやたちに連れられて、マッシュ…双子の弟と、海水浴を楽しんだりしたよ」
「へぇ…」
 王サマってずっと城の中にいるもんだと思ってた、とロックは笑う。

 何やらしばし思案していたロックだったが、ふと意を決したように問うてきた。
「じゃあ、もしかしてレイチェルも知ってたり…するのか?」
「レイチェル?」
 ロックの口から女性の名が出るのは、珍しい。
「あぁ…コーリンゲンに住んでるんだけど…」

 コーリンゲンには、フィガロ王室の別荘のような施設はない。出掛けるにしても、もっぱら身分を隠しての日帰り旅行のようなものだったので、村人との交流は、殆ど皆無であった。

「う――ん…、ちょっと記憶にないな。…素敵なレディに出会っていたのなら、絶対に忘れるハズなどないのだが」
 おどけてそう言ってみせるエドガーに、ロックは白い目を向ける。

「――…会ってなくて、良かったよ」
「でも、そうだな。今からでもお近づきになりたいものだ」

「――――…」
「ぜひ会ってみたいな、彼女に」

 突然に黙りこくるロックに、エドガーは少しばかりの違和感を感じる。

「なんだ、紹介してくれないのか?」
「…ダメだよ」

 不服そうなエドガーの声に、ロックは薄く笑う。

「あいつ、俺のこと忘れちまってるんだ」

 今にも泣き出しそうな、その笑顔。
 それは、とても切なく痛々しいものだった。
 

 けれども、今になって思えば。
 それはまだ、さほど逼迫した状態ではなかったのかもしれない。
 
 

 彼女の姿を実際にこの目で見たのは、この旅を始めて最初にコーリンゲンを訪れた時だった。
 かつてロックが幸せそうに話した、彼女と過ごした日々。
 それを口にしなくなったのは、一体いつからだったろうか。

 薄暗い地下室にあったのは、永遠の眠りについている少女。
 ――…いつまでも、変わることのない姿で。
 

 こういうことになっていたのを、エドガーは長い間知らなかった。
 それが、なんだか悔しかった。腹立たしかった。
 

 初めて見る彼女の印象は、本当にごく普通の、何の変哲もない少女といったものだった。
 女性をふるいにかけるのは自分のポリシーに反するため極力しないようにしているのだが、それでもあえて言ってしまうならば、とりたてて美しいと形容できるわけでもない、ごく平凡な、村娘。

 彼女のなにが、ロックを捉えて離さないのか。
 その時のエドガーには、まったく理解できないことであった。

 


 

 
 突然訪れた寝苦しさに、エドガーは低く呻いて薄く目を開ける。

 夜半の月のほのかな光が、薄暗い室内をぼんやりと照らしだしていた。
 エドガーは、ゆっくりと身を起こす。

 ふと何気なくテラスの方に目をやったエドガーは、その場でにわかに凍りついた。

「――…キミは――」

 そこには、少女がいた。
 ふわりとした白いスカートを身にまとったうら若き乙女が、月明かりをその背に受け、静かにたたずんでいる。

「レイチェルさん、だね?」

 瞬間的に、そう思った。
 少女は、こくりとうなづく。
 

 夢、なのだろうか。

 エドガーはゆっくりと瞬きをし、じっと彼女を凝視する。
 だが、その存在は消えない。
 ドマの民の思念が、同じ死者である彼女の魂を呼び寄せでもしたのだろうか。

 真相はわからないが、それでも今、彼女はここにいる。

 腰まで伸びた豊かな亜麻色の髪と、生気のない透き通るような白磁の肌は、いつか見たのと同じものだった。
 だが、あのとき固く閉じられていたまぶたが、今はしっかりと開いている。

 深い森林の色彩を放つその瞳は、優しげでありながら、確固たる強い意志を秘め、まっすぐにエドガーを見つめかえす。
 

 物怖じしない、芯のすわった娘だ。

 エドガーはそう思った。
 ロックも、彼女のそんなところに惹かれたのだろうか。
 

 だがロックの、彼女への執着は、傍目から見てもあきらかに度を超えたものであった。
「眠り姫…。貴女にこんなことを言うのは筋違いかもしれないが」
 エドガーは、きつく唇をかみしめる。

「あいつを…ロックを解放してやってくれ。――頼む」

 エドガーの言葉に、レイチェルは悲しそうな顔をして力なく首を振った。
「……どうして!? 貴女はあいつを愛していないのか!?」
 そんなことはないと頭では解っていても、咄嗟に口をついて出てくる残酷な言葉を、エドガーは止めることが出来ない。

「あいつは、充分に苦しんだハズだ! もうこれ以上、あいつが貴女にできることなんてないだろう…!!」
 
 肩で息をするエドガーを、レイチェルはじっと見つめる。
 やがて、ぽつりと呟いた。
 

「――わたしの言葉は、ロックにはもう届かないの」
 長いまつげが、小さく震える。

「わたしだって、あんなロックの姿はもう見たくない。でも、どんなに呼びかけても、祈っても、ロックの方が心を閉ざしてしまっているから――…」

 レイチェルさんだって、苦しんでいる。
 わかっていたハズなのに、彼女にぶつけてしまった暴言。そんな自分に、エドガーは激しい自己嫌悪を覚えた。

「自分を赦せなくて、がんじがらめにして、ずっと苦しめているのは、他でもないロック本人なんです――…」
 レイチェルは、すがるような瞳をエドガーに向ける。
「ロックは、今もわたしを蘇らせようと、必死に秘宝を捜しています」
「――――…」
「だから、もし…。貴方が再びロックに会えたら、そっと支えてあげて欲しいんです」
 

 予期していたものとは違った望みに、エドガーは低く問い返す。
「言葉を伝えるのでは、なく?」

 レイチェルは、こくりとうなづく。
「ロックは…自分で決めたことは曲げない人だから。まわりで何か言ったとしても、絶対きかないと思う。……自分で、心から納得するまでは」

 さすがだな、とエドガーは思った。

「だから、そのときまで、ロックが壊れてしまわないように。そっと、支えてあげてください…」

「――…何故、俺に?」

 自然にあふれる、素朴な疑問。
 ここには、ほかの仲間――それこそ、セリスだって居るのだ。

「貴方が、一番だと思ったから」
「…それは嬉しいね。光栄だ」

 偽りのないエドガーの言葉に、レイチェルが花のように笑む。
 彼女の醸し出す空気は、エドガーの表情だけでなく、心までをも融かしていった。

「もっと昔に出逢えていたら、私たちは良い友人になれたかな?」
「貴方が望むなら、今からでも。…もっとも、もうお話はできないけど」

 小さく笑ってみせるレイチェルを見つめながら、エドガーは、何故ロックがこんなにも彼女に惹かれているのかを理解したような気がした。
 やがて彼女の姿は、宵闇に融けるように、すうっと消えていったのだった。

 夜空を見上げれば、半弦の月。
 己の半身を喪くしたかのように見える、どこか頼りなげな姿。

 しかし、それは誤りだ。

 月は決して半身を喪くしているわけではない。
 己の半身は、確かにそこにあるのだ。少し隠れて見えないだけで。

 あいつは、月だ。

 本当は傷ついてボロボロで、穴だらけの心をしているのに、それを隠すために距離を置く。
 追いかけても追いかけても、決してこの腕に抱くことはできないのに、気がつけばいつも俺の側で、闇夜の空を彷徨っている。

 柔らかなひかりを放つ月を、エドガーは夜が明けるまで見つめていた。

 

END
コレは、1〜2年間(…いや、もっと?)放ったらかしにしてたネタを
3つほどつなぎ合わせて書き上げました。

エドロクですか、コレ。しかも、レイチェル公認ですか!!
そうするつもりはなかったんですが、自然とこうなっちゃいました。

エドガーとレイチェルは面識がない!というのは長年の持論だったんですが、
もしかしたら、そうとは気づかずチラッと顔合わせたことくらいは
<あったのかもしれないですね。
フィガロ兄弟の「コーリンゲンに海水浴」は公式裏設定ですからね。
…9年前から知ってた設定なのに、なんで気づかなかったんだろう、自分…。
でもまぁ、すごく親しかったってのはまずナイと思ってます。いまでも。


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