紅く燃える大空に、夜のとばりが降りてゆく。 まるい窓から見えるそのさまを、ロックは呆然と見つめていた。 天駆ける艇ファルコン号と、世界を眠りへといざなう闇とのせめぎ合い。光と闇のあいだを縫うように奔る飛空艇であったが、赤茶けた大地は徐々に闇に包まれていく。 沈みゆく陽光に紅蓮に染まる水平線にはるかな天空から漆黒の夜が流れ出し、安息に支配された空間では、幾千もの星たちがひそやかに輝きはじめる。 そのさまは、実に美麗でためいきが出るほどのものであった。 だが、ロックはそんなものを見ていたわけではなかった。 誰もいない室内でひとり、放心していたのだ。 “つきものが落ちた――”。まさに、そのような状態であった。 彼はつい先ほど、長年の悲願を達成させたばかりなのであった。 5年近くもの歳月を、彼は、その瞬間のために費やしてきたのだ。すべてを犠牲にし、他のなによりも“それ”を最優先して行動してきた。 “それ”を追い求めることが、彼のすべてであったのだ。 俺の心のまんなかに、ずっと存在していたあいつ。 あいつの笑顔を、あいつの幸せを、あいつの未来を、 そう、あいつのすべてを、俺は奪ってしまった。 すぐそばにいたのに、守れなかった。 あいつのためと言い聞かせ、俺は逃げ出した。 …――レイチェル。 もう一度、逢わなければならなかった。 逢って、話がしたかった。そして謝りたかった。 あいつを取り戻さない限り、俺は前に進めなかった。 自分だけがのうのうと幸せに生きることなどできなかった。 俺には、あいつがいない世界なんて意味がなかった。 あいつの眠りと共に、俺の時間は止まったまま。 ほんとうのことなんて、何もなかった。 やっとの思いで探し当てた、伝説の秘宝。 さまよえる魂を呼び戻す、甦りの秘術。 恨まれても、仕方がないと思っていた。 けれど、あいつは「幸せだった」と言ってくれた。 そして俺が言うべき「ありがとう」とまでも。 レイチェルは、ずっと俺のことを見守ってくれてたのだと思う。 秘宝探しに躍起になって、なりふり構わなかった俺の姿を。 あいつは、柔らかく微笑んで――…。 最後に、俺が自分に課していた“呪縛”を解いてくれたのだ。 セリスが、自分を想ってくれていることを、もちろんロックは気づいていた。 しかし、その気持ちに応えることなど、できるはずもなかった。 思えば、セリスには悪いことをしたのかもしれない。 その想いに気づいていながら、ロックは彼女のかつての立場を利用しさえした。 ――すべては、伝説の秘宝を手に入れるために。 悲願であったレイチェルとの再会を果たし、そして彼女が安息の眠りについた今、ロック本人が決心しさえすれば、セリスの想いを受け入れてやることができるのだ。 けれど、正直ロックは躊躇っていた。 レイチェルが逝ってしまった直後であるのだから、迅速すぎる行動はあまりに不謹慎なのではないかとも思う。あいつが生き返らなかったからセリスに…と思われても仕方がない状況だ。 そして、もしも――…。 ――もしも、レイチェルが本当に甦って、この世界でふたたび生きていくことが出来ていたとしたら――…、正直、自分がどうしていたかもわからない。 「あなたの心のなかの、その人を愛してあげて。」 レイチェルの最期の言葉が、ロックの脳裏に何度もうずまく。 ロックのためを想っての、レイチェルの遺言。 ――…俺は、どうしたらいい? 答えなど、見つかるはずもなかった。 そんなことよりも。 今は、世界のことの方が重要だ。 神を気取って破壊の限りを尽くし、世界を恐怖に陥れている狂魔導士を倒さないかぎり、人々に未来は訪れない。 決断を先送りできるもっともらしい理由があることに、わずかばかりの安堵感を覚え――そしてその罪悪感にかぶりを振りながら――ロックは、寝台に身を沈めた。 |
――…コン、コン。 ふいに、扉をノックする小さな音が聞こえたような気がした。 ロックは暗がりの中、身を起こして扉を凝視する。 「…――ロック、もう寝たの?」 声の主は、セリスだった。 「いや…起きてるよ」 「………入っていい?」 「あぁ…」 ロックが答えると、セリスはゆっくりと扉を開ける。 戦闘時のレオタードのような質素なアンダーウエアにカーディガンを羽織ったセリスは、うつむきながら歩み寄ると、ロックが座り込んでいる寝台の縁に腰をおろした。その重みで寝台がわずかに沈み、小さな軋みをあげる。 セリスは、黙ったままだった。 「…どうしたんだよ。眠れないのか?」 このまま静寂に包まれるのもいたたまれなく感じたロックが、声をかける。 「うん…今までのこと、いろいろ思い出してたら胸がいっぱいになって…」 「…………」 「でも、本当に良かった…」 「……ん?」 「ロックが生きてて」 「あぁ」 「みんなが、生きてて」 「…そうだな」 「世界が引き裂かれて…荒野にひとり立ちつくして…、本当に、不安だった」 セリスの声が、かすかに震えている。 「わずかな希望だけにすがりついて、やっと…やっと……」 うつむいたまま言葉を詰まらせるセリスを、ロックは静かに見つめる。 セリスは今まで、こんな泣き言を漏らしたことは決してない。あったのかもしれないが、少なくともロックの知る限りでは、そんなことはなかった。 あぁ…そうだ、と、ロックは思った。 魔導の力を人工的に注入され、帝国将軍として各地を制圧し、常勝とまで謳われたセリス。帝国のやりかたに疑問を抱き、故郷を捨て、反逆し、捕らえられ、そして自分に助けられリターナーに協力するようになったセリス。 他人がちょっと思いめぐらせただけでも、充分に波瀾万丈な過去を持っている彼女。その容貌は麗しくも毅然として、風格すらある。 その堂々たる立ち居振る舞いに忘れかけていたが。 彼女は、二十歳にも満たない“少女”なのだ。 セリスの人生は、少女が背負うには重すぎるものだと思う。 それに加えて、世界の崩壊――…。 ロック自身でさえ、荒れた大地にひとり放り出された時は、とてつもない虚無感と絶望感に襲われたのだ。ロックを生への執着に導いたのは、レイチェルに対する想いだった。そしてセリスの場合は、ロックに対するそれだったのだろう。 そこまで考えたところで、罪悪感がロックの胸にちくりと突き刺さる。 自分の存在を支えにここまでたどり着いたセリスだが、その自分は、他の女の存在を支えにして生きてきたのだ。仲間と合流することよりもレイチェルを取り戻すことを最優先に、この荒野を奔走してきたのだ。 セリスは、何も言わなかった。 こんな俺の気持ちを察して、じっと待っていてくれたのだ。 「――――セリス…」 横でうつむいたままのセリスの胸中には、どんな想いが渦巻いているのか。 ロックは、おそるおそるその肩に手を触れる。自分から遠いほうの、その肩へ。セリスのからだが、ぴくりと小さく震えた。 「だいじょうぶ…これからは、側にいるさ」 そっと抱きしめるような体勢のまま、ロックは低くささやく。 セリスは面をあげ、ロックの方へと向き直った。その表情は、いつもの見慣れた凛としたそれではなく、今にも泣き出しそうな、壊れそうな、小さな少女のようなそれだった。 「……待たせたな」 「――――…!」 セリスは、ロックの胸にすがりつき――…。 声を殺して嗚咽した。 小さく上下するその背を、ロックは優しく叩きながら抱きしめる。 ほんとうに、愛しいと思った。 “レイチェルの代わり”なんかじゃない。 “セリス”というひとりの女を。その存在を。 “守りたい”と思ったのだ、心から…。 つい先ほどまで、セリスの想いを受け入れるのを躊躇っていたのが愚かしくさえ感じられる。まるで、夢想にとりつかれていたかのように。 自分の気持ちを偽らずに正直に生きるのが、あいつの願いだった。 あいつにとらわれることなく、新しい人生を――…。 セリスの体温をその腕に感じながら、ロックは満たされた充足感に包まれるのを感じたのだった――…。 |