虹のうまれる場所

 天より落つる恵みの雫は、大地の緑を鮮やかに彩らせる。
 雨は、大気中に舞った細かい塵たちを洗い流し、あらゆる生命をいきいきと蘇らせるのだ。

「うわぁ、キレイ…!」
 ひさかたぶりに現れた晴天の空を見上げ、少女は感嘆の声をあげた。
「あんなにクッキリ見えるのって、珍しいよね!」

 少女が指さした方向に見えるのは、七色の虹。
 広い大空に、見事なまでの艶やかさで存在する虹だった。

 少女――レイチェルのまなざしを受け、ロック・コールも大きく肯き、同意を示す。
「そうだな。俺もさすがにこれ程のは滅多に見られないよ」
 

 彼らが現在たたずんでいる、コーリンゲンの村から少しばかり離れた平原。そこから、はるか北方にかすむ連峰のふもとに広がる森林地帯。
 美しい虹は、そこから天に向かって延びているのだった。

 レイチェルは、草原の雨露がスカートに跳ねるのも気にせず、一歩・二歩と軽やかに飛びはねてみせる。
「コラコラ、危ないぞ。まだぬかるんでるんだから」
「大・丈・夫・よ!」
 くるくると廻るレイチェルをやれやれと眺めながら、ロックは再び空を仰いだ。

 先程まで空を覆っていた薄暗い雨雲はもうすっかり姿をひそめ、抜けるような青空が広がっている。
 高い太陽が眩しい、初夏の空だった。

「きゃっ…!」
 突然の悲鳴に、ロックはハッと振り向く。

「――――……」
 ロックの腕の中で、レイチェルは瞳をしばたかせた。
「…すべっ、ちゃった…」
「――ったく。だから言っただろ〜?」
 大袈裟にためいきをつくロックに、レイチェルは申し訳なさそうにうなだれる。
「ごめんなさい…」
 けれど、すぐにヨイショと身を起こすと、レイチェルはパンパンとスカートをはたいた。

「ねぇ、ロック」
 レイチェルのふいの呼びかけに、ロックはいつものように、ん?と応える。

「“虹のふもと”って、どうなってるんだろうね」

「虹のふもと?」
「うん」
 レイチェルは、微笑みながらうなづく。
「あの虹のはじまりは、どんな場所なのかなぁ、とか。何がいて、どんな光景なのかなぁ、とか」

 瞳を閉じてゆっくりと語るレイチェルの姿に魅入りそうになりながら、ロックはあきれたような声を出してみせた。
「レイチェル…。おまえってホント、面白いことばかり考えるよな」
「え…っ、そ、そう?」
 どぎまぎしているレイチェルに向かい、ロックはにっと笑いかける。
「でも、嫌いじゃないぜ。そういうの!」

 ロックは大空に両腕を広げ、大きく伸びをした。
 新鮮な空気が胸いっぱいに流れ込み、とても心地がよい。

「――…虹のふもと、か…」

 ゆっくりと腕を振り下ろし、ロックは大地を踏みしめた。
 草原を抜ける風が、頬をくすぐる。

「いつか――…ふたりで、見つけにいこうか!」
 振り返りそう告げるロックに、レイチェルは至上の微笑みを返した。
「…うん!」
 

 ありもしないものを、夢でも見てるかのように語って。
 存在するはずもないものを、探しに行く約束なんかして。

 レイチェルだって、そんなことは百も承知していたハズだ。

 けど、そんな話をしてみせることが、俺にとっては「幸せ」だった。
 夢見がちな妄想にひたることが、「やすらぎ」だったんだ。

 ――それはもう決して戻らない、幸福だった日々――…。
 
 


 

 どうして!?
 どうして、こんな事になってしまったんだ!?
 

 降りしきる土砂降りの雨の中、ずぶ濡れのロックは重い足を引きずっていた。
 

 雨は、硝煙の香りを綺麗に洗い流してゆく。
 大地にこびりつくおびただしい血液も、じわりと融けて流れてゆく。

 けれど、胸に広がる虚無感と不快感は。
 無惨に倒壊した、この建造物は。

 そして、喪われた尊い魂は――…。
 決して元に戻ることなど、ないのだった。
 

 ここはもう、俺の知ってるコーリンゲンじゃない。
 

 俺の知ってるコーリンゲンは。
 みどり豊かで、のどかで、穏やかで。
 小鳥のさえずりの似合う村だった。

 こんな、悲惨な戦場跡などでは、決してない。
 

 どうして!?
 どうして、こんな事に!?
 

 答えのでない疑問が、ロックの頭の中をグルグルといつまでも駆けめぐる。
 
 

 帝国のコーリンゲン攻撃の報を聞いたのは、2日前の夜だった。

 たまたまサウスフィガロまで来ていたロックは、久しぶりにレイチェルの様子を見に行こうかと思っていたのだった。逢うことはせず、遠くから眺めるだけでも、と。その矢先の出来事だった。

 夜が明けるのを苛つきながらどうにか待ち、朝一番で街を飛び出す。
 昼まえにフィガロに到着、数ヶ月前に知人となった国王の取り計らいもあり、コーリンゲンのある北西大陸に、その日の夕方には足を踏み入れることができた。
 やっとの思いでコーリンゲンに辿り着いたとき、ロックは我が目を疑った。
 

 帝国の砲撃は、ロックから何もかもを奪い去った。

 約束の地、想い出の場所。
 夢見がちな語らいの記憶、その拠り所。
 そして、あの日々に還れるかもしれないという、
 わずかばかりの希望すらも――…。
 

 コーリンゲンの郊外を抜け、膝まで伸びた雑草の生い茂る草原をかき分けながら進むころには、雨はほとんど小降りになっていた。
 薄暗い雲が空を覆ってはいるが、確かな朝日が、大地に降り注いでいる。

 ロックは、へたりと草原に座り込んだ。
 雨水を充分すぎるほど含んだジーンズに、さらに草露の水分が足される。グジュリと音を立てる感覚が不快ではあったが、今のロックには、そんなことはどうでも良いことだった。

 唇をかみしめ、きつく瞳を閉じたまま、ロックはその顔を天へと向ける。
 あふれる涙を雨で流すつもりであったのだが、そんな思いをあざわらうかのように、雨は、止んだ。

 ロックのからだに、あたたかい朝の陽射しが降りそそぐ。
ゆっくりと、ロックは瞳をあけた。

「――――…!」

 ロックの視界の先には、虹が。
 あの時と同じ虹が、その姿を現していたのだ。
 憎々しいほど、クッキリと。
 

(虹のふもとは、どうなってるんだろうね)

 どうでもいい、そんなこと。
 

(虹のはじまりは、どんな場所なのかな)
(何がいて、どんな光景なのかな)

 もう、どうだっていいんだ!!
 
 

 だって、レイチェルはもう微笑まない。
 一緒に夢を語ることもない!
 

 もう、レイチェルは――…!!!
 
 

 ……けど。
 それが、レイチェルの望みだった。
 心の底からの本心ではなかったのかもしれないけれど、あのとき確かにふたりで約束したんだ。
 一緒に、虹をみつけにいこうと…。

 


 

「……くそッ!」
 ロックは、駆け出した。
 ぬかるみに足を取られながらも、懸命に走り続ける。

 だが、草原のはるか向こう、北方山脈のふもとに広がる森林地帯には、走れども走れども辿り着くことができない。

「――ちくしょうッ!!」
 両膝に手をつき、ロックは肩で大きく荒い息をついた。
 全身から、とめどなく汗が流れる。

 額につたう雫を腕で無造作に払ったとき、ロックは背後にかすかな鳴き声を聞いた。ゆっくりと振り向くと、そこにはロックより頭ひとつ分は高い、大がらの鳥がいた。
「……チョコボ?」
 チョコボは、小刻みに頭を動かしながら、こちらの様子をうかがっているようだった。
「野生種…? いや、それはないよな。ヒトを怖がってないし…」
 ロックは、顎に手をあてて思案する。
「…そうか! 北の隠れチョコボ屋のトコのか!」

 チッチッチと軽く舌打ちしながら、ロックはゆっくりとチョコボに歩み寄る。
「よーし、恐がらないで。いい子だ」
 近づいてみると案の定、鞍と手綱がついていた。
「そうか、ひとりで帰るのが心細かったんだな」
 くちばしの下の毛の部分をくすぐってやると、チョコボはクゥ、と鳴いて目を細めた。ロックはチョコボの頭をわしわしをなでさすってやると、にやりと微笑んだ。
「よし、俺がついでについてってやるよ」

 ロックはチョコボの背にひらりと飛び乗ると、手綱を握り軽くその腹を蹴った。
 チョコボは、ゆっくりと駆け出す。

「――…こりゃ、いいや!」
 やはり、人間の足とチョコボの脚は違った。
 周囲はあいかわらずの草原なのだけれど、明らかに景色が変わっているのが解った。
 ほどなくして、ふたりは虹の見えた森の入り口へと到着する。
「よし、たのむぞ!」
「クエェ?」

 手綱を強めに握りなおすと、ロックはチョコボの腹を強めに蹴った。
 チョコボは、意を決したように全速力で駆け出す。

 木々の葉の隙間から垣間見える姿をたよりに、虹に向かって進路を取る。この距離感からすると、もう間もなく辿り着けるはずだ。
 それほどまでに近い。
 すぐ目の前に、あるんだ!!

 連なる木々の間を抜け、巨大な岩の塊を回避し、ふたりはまるで風のように駆け抜ける。
 ――――だが。
 正面に見えていたはずの綺麗な虹が、いつの間にか大きく右手へと移動してしまっていたのだ。

 ロックは軌道修正し、再びチョコボを駆け出させる。

 木々の枝に絡まるツルを短剣でなぎはらい、地面に大きく口を開けるクレバスを飛び越え、ただひたすら虹を目指して、がむしゃらに突き進む。

 やがて、視界がひらけた。

「――――…!?」

 ロックは、目の前に広がる光景に愕然とした。
 
 

 そこには、川の流れがあった。
 幅がおよそ50mはあろうかという川が、ロックの行く手を遮っていたのだ。そして、その対岸にもはるかに続く森の奥に、さきほどの虹は突き刺さっているのだった。

「――…なんなんだよッ!?」

 追いかけても追いかけても、決して辿り着けない。
 ロックをあざ笑うかのように、すり抜けてゆく、虹。

「ちくしょうッ!!」
 ロックは、足元の小石を蹴飛ばした。
 小石は二度三度、水面を跳ねて、ポシャリと沈む。
 

 あぁ、そうだよ。
 虹のしっぽなんて、つかめるワケないんだ。
 あの頃は何も知らなかったけれど、今ならわかる。
 虹なんてのは、大気中の塵や水分に、太陽の光が乱反射してできる幻なんだ。
 近づくことや触れることなんて、できやしないんだ…!
 

 ロックの視界が、ぼうっとかすんだ。

「……!?」
 思いがけず足がふらつき、その場にしゃがみこむ。
 ふと額に手をやってみると、燃えるように熱い。そういえば、頭も割れるように痛むようだ。

 ――…そうか。
 ずぶ濡れになったあと、服も乾かさずにここまで来たから――…。
 ロックの意識は、しだいに朦朧としてゆく。
 

 ごめんな、レイチェル。
 俺、なにもしてやれないで。

 こんな俺のこと、最後の最期に思い出してくれたのに。
 

 ホントに、ごめん――…。
 

 


 

 まぶしい陽の光が頬を照らす感覚に、ロックは低く呻いて眉をしかめる。

「――――…ぅ……ん……」
 がばりと身を起こすと、そこは小綺麗な部屋の寝台の上だった。柔らかく上等な寝具と、高級そうな調度品の置かれた部屋。
 これらには、見覚えがある――…。

「ロック。気が付いたようだな」
 声のした方に顔を向けると、長身の男が奥の扉から歩いてくるのに気づく。
「………エドガー」
 自分の声が、かすれている。

「俺、どうしてフィガロに?」
「あぁ」
 エドガーは椅子をひき、ロックの枕元に腰をかけた。
「おまえを乗せたチョコボが草原の真ん中でうろついているのを、見張りの兵士が発見したらしい」
「……チョコボは?」
「おまえを引き渡したあと、北へ走り去っていったそうだが」

 なかば強引に付き合わせた部分もあるというのに、なんて律儀なヤツ。

「あいつ――…」
 ひとり苦笑しているロックを、エドガーはちらりと見やる。

「それにしてもロック、おまえ何してたんだ。突然やってきたかと思ったら、向こうへ渡らせてくれ。送ってやったらやったで、何の音沙汰もなし――」
「あぁ、悪かった…」

 ロックはわずかに目を細めると、まばゆい光の射し込む天蓋をあおいだ。

「ちょっと…虹を、つかまえに行ってたんだ」
「虹を?」
「すごく近くまで行ったけど、無理だった」

 笑い飛ばされるだろうと苦笑するロックを柔らかく見つめながら、エドガーは優しく声をかける。
「じゃあ、虹のふもとには辿り着けたワケだ」
「え…?」

 思いがけないエドガーの言葉に、ロックは我が耳を疑う。

「虹の原理は、おまえも知っているんだろう?」
 エドガーの問いかけに、ロックはこくりとうなづく。

「虹は、見る者――いや、見る場所によって、微妙にその位置が違う」
 

 そう。だから、決して近づけない。
 永遠に、辿り着けないんだ。
 

「おまえが虹の近くに行ったのなら、そこも確かに虹のふもとだったんだよ」
「――…!?」

 意外すぎるエドガーの言葉に、ロックは狼狽える。

「でも、それじゃ何も無いじゃないか!! ただの森に散歩に行っただけじゃないか――…。そんなの、意味がないじゃないか…!!」
「――…何もなくても、だ」
 エドガーは、優しくロックの頭をなでる。

「人が追い求める夢や希望なんてのは、意外とごく普通の、平凡な光景の中にあるんだと。――俺は、そう思う…」
 かみしめるように呟かれたその言葉に、ロックはハッと我にかえる。
 

 夢や希望は、日常の中にある――。
 そうか。
 俺のしあわせは、レイチェルと過ごした日々にあった。
 あの瞬間、あの日常こそが、俺の「虹のうまれる場所」だったんだ。
 

 気づいた時には、もうどうしようもない、儚い現実。
 やっとつかんだ真実は、その瞬間に泡となって、指の間からすり抜けていく。

 そのとき、ロックの記憶の淵から、ひとつの欠片が飛び出してきた。
 いつか聞いた、子供だましのおとぎ話。

 ――さまよえる魂を呼び戻す、伝説の秘宝。

 本当に、そんなものが存在するのなら。
 ……いや。それを探し出すのが、今の俺のできるすべてなんだ。
 

 ごめんな、レイチェル。
 もうちょっと、待っててくれ。

 今度こそ、一緒に虹のふもとに立とう。
 
 

「――…ロック?」

 急に黙り込んだロックに、エドガーが怪訝そうに声をかける。
「あ、いや。悪ぃ…何でもない」
 もぞもぞと寝台から下りようとしているロックに、エドガーは眉をひそめる。

「おい…もしかして、もう行くのか? まだ本調子じゃないだろうに」
「あいにくと、いつまでもヒマを持て余していられるような立場じゃないもんでね」

 しゃあしゃあと言ってのけるロックのふてぶてしさに、エドガーは大きく溜息をついてみせた。
「まったく…自分だけが忙しいような口ぶりだな」

 石鹸の香りのする己の衣服にそでを通し、てきぱきと身支度を整えていくロックを眺めながら、エドガーは努めて明るく声をかける。
「まぁ、無理はするなよ」
「わかってるって!」
 片目をつむると、ロックはひらひらと手を振って部屋を後にした。
「それじゃ、世話になったな!」
 

 ロックの去った部屋は、とたんに静寂に包まれる。

 エドガーはゆっくりと窓辺へ歩むと、そこから地上を見おろした。
 程なくして、草原へと向かって砂漠を渡っていく小さな影が見えた。影はふと立ち止まると、エドガーのいる方へと向かい、大きく手を振る。エドガーも、手を振り返してやった。

 決して心のすべてを開かない、明るく屈託のない友人。
 俺は、そんなおまえを、ただ見守ることしかできやしない。
 

 地平の彼方へと消えていく影を、エドガーはいつまでも見つめていた――…。

 

END
1年ちょっと前にひらめいたっきり放ったらかしにしていたネタでしたが、
入院中ヒマだったので、ダラダラと書き上げてみました。
転んでも、タダでは起きません(笑)

えぇと。当時の通勤経路がまがりくねった山道だったのですが、
あるとき、すごいクッキリした虹が、もうホントにすぐそばに見えたんですよね。
だけど、絶対に近づけない。
その体験を、ちょっとネタにしてみたのでした。


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