城内は、きらびやかな装いにあふれていた。 いつもはがらんとしながらも荘厳なる雰囲気に包まれている大広間だったが、今宵は、玉座の後ろに控えた宮廷楽団が美しく繊細な音色を奏で、優雅な空間を演出している。広間のそこここには小さな円形状の卓がいくつも並べられ、純白のテーブルクロスが敷かれたその中央に、見事に活けられた可憐な花やら、ぴかぴかに磨かれた銀の燭台やらが置かれていた。そしてそれらを囲むように、鹿肉を炙って薄くスライスしたもの、コーリンゲンの浜で今朝水揚げされた魚をマリネにしたもの、極上の小麦を使った焼き立てのパン、新鮮な野菜のサラダ、芳醇な香りの葡萄酒などなど、贅を凝らした料理の数々が並べられている。 若き国王エドガーの、二十数度目の生誕パーティーなのであった。 今回の宴は形式ばったものではない気楽なものだとは聞いていたが、それでもきらきらしいドレスを身にまとった女性や光り輝く勲章をいくつもぶらさげた騎士、気取ったいでたちの公爵や貴族と思われる人々の姿もちらほらと見て取れる。 ロックは壁にもたれてグラスを傾けながら、その目も眩むような光景をぼんやりと眺めていた。そのロックの服装も、いつものラフなものではない。フィガロの女官たちによって、無理やり窮屈な燕尾服に着替えさせられたのだ。 着慣れぬ正装の鬱陶しさに眉をしかめながら襟元を緩めようとしたとき、穏やかに流れていた楽曲が、軽やかに弾むようなものに変わった。談笑していた者たちの幾人かが誘い合わせ、舞踏曲に合わせて踊り始める。くるくる回る娘たちのドレスの裾がはためくのを見やりながら、ロックはため息をついた。 ――俺、おもいっきり場違いだな。 なんでこんな時にフィガロに来ちまったんだろう。 ロックはガラにもなく、すっかり場の雰囲気に呑まれてしまっていた。 しかし、それも無理のないことだろう。今まで自由奔放に生きてきた彼にとって、上流階級の社交場を垣間見る機会など皆無であったからだ。耳に入ってくる人々の会話も、自分とは別次元の話題ばかりで、うすら寒くすら感じてしまう。 呆然と立ちつくしていると、人々の頭の向こうに、エドガーその人の姿が見え隠れした。ほっと安堵の表情にほころぶ。 「エド――…」 声をかけようとして、ロックはやめた。 エドガーもまた、どこぞの令嬢とワルツを踊っていたからだ。娘の細腰に腕をまわし、微笑をたたえながら優雅に舞うその姿は、さながらおとぎ話に出てくる王子のようであった。――実際、そのようなもの…というか、それ以上なのであるが。 やっぱり、あいつは「王様」なんだよなぁ…。 胸によぎったもの寂しさに苦笑しながら、ロックは華やかな広間を後にした。 |
いつもロックがフィガロに立ち寄る時には、正門からみて右手の離れの尖塔の一室があてがわれていた。寝台と椅子しかない狭い部屋ではあったが、階上の見張り台からの眺めは絶景で、ロックはここが気に入っていた。 ロックは借り物の上着を脱ぎ捨てると、寝台に身を投げ出した。頬に触れるシーツから、かすかに石鹸のよい香りがする。ロックはそのままごろりと仰向けになり、大きく息をつきながらぼんやりと天井を見つめた。 ――やっぱり、住む世界が違うのかもしれない…。 初めて出会ったとき、エドガーは身分を隠していた。なんだかんだ話をして、すっかり意気投合して、後になって「実は国王だ」と告げられたけれど。その時は、へぇそうなんだ、驚いた、くらいにしか思わなかった。 あいつが大臣にテキパキと指示を出してるのも、関税のこととか小難しい書類に目を通したりしてるのも今まで何度も見てきたけれど、ヒマさえあれば女を口説いたり、大臣の説教にうるさそうに肩をすくめてみせたりする様子は、はたから見てても庶民のそれと変わらなくて、なんだ、王様っていっても俺たちと同じじゃないか、なんて思ったりしてた。 ――けど。 ああやって城の外の人間との気取りくさったやりとりを目の当たりにしてしまうと、やっぱり自分とは違う世界の人間なんだな…と思い知らされてしまう。 そもそも、なぜエドガーは俺と友人づきあいをしてくれてるのだろう? なにか策略的な、良からぬ事態に巻き込もうとしているのではないか? ひとたび考え出してしまうと、今まで思いつきもしなかった黒い疑惑が頭の中をかすめてゆく。 ――と、そのとき、小部屋の扉が勢いよく開いた。 「ロック…! どうしたんだ、突然いなくなったりして」 「エドガー…」 ロックはがばりと身を起こし、駆け込んできた人物の名を呟く。 「なんでここに…?」 「なんでじゃないだろう。急に姿を消したら、誰だって驚くさ」 あの広間から駆けてきたのであろう、豪華な金糸の刺繍の入った白い衣装に蒼いマントを羽織ったエドガーが、息を整えながら寝台の上のロックの隣に腰掛ける。 「サーナだってガッカリしてるぞ」 「サーナ?」 給仕係の、娘の名だ。 「あぁ。おまえもパーティーに出ると教えてやったら、後で絶対ダンスの相手をしてもらうんだと息まいてたからな」 「……俺は、踊れねぇよ…」 不機嫌そうに低く呟いたロックに、エドガーは怪訝なまなざしを向ける。その視線に気づいたロックはハッとして、逆に陽気ぶった声で言い足した。 「いや、ホラ。あのさ、俺みたいな奴には相応しくないっていうかさ、場違いっていうかさ、そんな気がしただけだよ!」 「……誰かが、おまえにそう言ったのか…?」 今度は、エドガーが低く問う。 「え、いや…。別にそんなんじゃねぇけど…」 「……………」 互いが口をつぐんでしまうと、室内は妙に重苦しい空気に包まれた。それを散らすかのように、エドガーは大げさにため息をつく。 「おまえが、そんなこと考えるとは思わなかったよ」 「俺だって思わなかったよ…!」 ロックは寝台から降り、壁の小窓から外をみやった。宵闇の中、広間からもれてくる楽曲の調べが、かすかに風に乗って聞こえる。 「あんたは…身分のことで劣等感を感じたりするのってわかんないだろ。なんたって、何事にも恵まれた王様だもんな…!」 しばらく黙してロックの背をじっと見つめていたエドガーだったが、やがて口を開いた。 「そんなことはない」 「…………」 「俺の母上は…、もちろん父上の正式な第一王妃であり唯一の妻だっだんだが、元々は孤児の出でね。その子である俺と弟は、昔なにかにつけて一族から嫌味を言われたものさ」 「………え…?」 「だから、そいつらに文句を言わせないために努力したよ。何事においてもね。母上の生まれのせいにだけは絶対したくなかったからな」 初めて聞かされるエドガーの秘密に、ロックは内心驚愕した。 何でもソツなくこなし、いつも自信に満ちあふれているのは、彼が生まれつきの王者であるからだとなんとなく思い込んでいたが、よく考えれば、そんなことがあるはずがないのだ。 どんなに素晴らしい天性の才能があろうと、本人がそれを磨こうとしなければ、能力は花開くことはない。現在のエドガーがあるのも、過去のたゆまぬ努力あってこそなのだ…! 「国王業もいろいろと気苦労が多くてね」 エドガーもまた寝台から立ち上がり、ロックの隣の石壁にもたれて薄く微笑む。 「ときどき、ただのエドガーになりたくなるときがあるんだ。――だから、ロック…」 「ん?」 「おまえまで、あまり俺を特別扱いしてくれるなよ」 「……――――!」 ロックは目を瞬かせ、しばらくの後、腹を抱えて笑い出した。 「…っはは! やっぱあんた、面白いなぁ…!」 「ロック…?」 怪訝そうにするエドガーに、ロックは笑い過ぎのためか、あるいはそれ以外のもののためにか、にじんだ涙をぬぐいながらウインクしてみせる。 「オッケーわかったよ。あんたの誕生日の記念に、永遠の友情を誓うよ」 「…そういう特別扱いなら、大歓迎だ」 目の前の屈託のない笑顔に、エドガーもまた至上の笑みをこぼした。 |
「エドガー、そろそろ戻った方がいいんじゃねぇの? 主役がいつまでも席外してたらマズイだろ」 「ん…あぁ、そうだな」 促され、扉へと向かおうとしたエドガーだが、ふと足を止めて問うた。 「おまえは、戻らないのか?」 「…だから、俺は踊れねぇってば」 ふくれてみせるロックに苦笑しながら、エドガーはマントのずれを直す。 「だけどな、ロック。俺とのつきあいを続けていくんだったら、ダンスの1つや2つ出来ないと困るぞ?」 「うえ――…。じゃあ、前言撤回しようかな」 渋い顔をしながら舌を出すロックを、エドガーは鼻で笑う。 「国王権限で、却下だ」 「…ったく、こんな時だけ。調子のいい奴!」 「何とでも言え」 「でもさぁ…」 頭を掻きながら、ロックは呟く。 「さっき俺に言ったことって、女に言ったほうがいいんじゃねぇの?」 「…あぁ。レディたちには、もう言い飽きたんだ」 「……………」 「――なんてな」 唖然とするロックにニッと笑いかけ、エドガーは扉を閉じた。 「また来る」 「――…なんなんだよ、一体…」 つかみ所のない飄々としたエドガーの態度に、ロックは苦笑する。 ホントに、変な奴。 今までに会ったことのあるどこぞのお偉方どもは、人を見下してふんぞり返ってる奴ばかりだった。 政治のことなんてよくわからないけれど、民に歩み寄り、民の声を聞くエドガーは、きっと良き王なのだろう。国民の誰もが彼を敬愛しているのが、ひしひしと伝わってくる。 絶対に調子に乗るだろうから面と向かっては言わないけれど。こんな自分でも、エドガーの役に立つことがあるのなら、何でも手伝ってやりたいとさえ思ってしまう。この人徳こそ、王たる者の絶対的な資質なのだろう。 そんなことを考えながら、ロックはワルツのステップらしきものを踏んでみた。だが、足がもつれてすっ転びそうになったので、結局、やめた。 |