「リルム、早くするんじゃ!みんな待っとるゾイ!」 「もう〜〜〜、そんなに急かさないでよ!!」 階下から聞こえる呼び声に、少女はうるさそうに返事をする。 外界から隔離された偏狭の地、サマサ。 そこは、絶滅したと思われていた魔導士たちの隠れ里であった。 この地の近辺に、封魔壁から飛び出した幻獣が身を潜めた。 帝国と手を組んだ一行は、幻獣を見つけ出し、和解することに成功した。 しかし、帝国は裏切った。 味方であるはずの自国の将軍を惨殺し、戦意を失った幻獣たちを魔石に変え、雇った暗殺者まで手をかけ、虐殺のかぎりを尽くして去っていった。 魔導を悪用する帝国を赦すわけにはいかないと、魔導士の血を引くストラゴスは、一行に力を貸すことを申し出た。そして、彼と共に暮らしていた少女リルムも同行することになったのであった。 「まったく、いつまでゴソゴソやってんだぁ?」 しびれを切らしたマッシュが、階段を登り、その巨体を階下から覗かせる。 「女の子だもの、いろいろ持っていきたいものだってあるわよね」 彼女自身がすっぽりと収まってしまうのではないかと思われるほどの大きな鞄に、ぎゅうぎゅうと物を詰め込むリルムを、セリスは微笑ましそうに見守る。 「はぁーー。遊びにいくんじゃないんだぞ」 「よっし、これでOK!!」 リルムはいかにも“ひと仕事を成し遂げた”様子で、満足げに笑んだ…かと思いきや。 「あっ!あとは――…」 思い出したように手を叩き、リルムはまた部屋の中を駆けずりまわり始めた。 「兄貴〜、なんとか言ってやってくれよ〜〜〜」 呆れ顔のマッシュは、救いを求めるように階下のエドガーを呼ぶ。 「いいじゃないか、外の世界に出られるのが楽しみなんだよ」 おまえなら解るだろと実の兄にたしなめられ、マッシュは口をつぐむ。 リルムは、村の外の世界を知らなかった。 それは、幼い頃のエドガーやマッシュと同じことであった。 「さぁ、レディの旅支度を、しばし待とうじゃないか」 エドガーの言葉にマッシュがしぶしぶ頷いたとき、階段をあがってきたロックが何かに気づいた。 *** 「おい、アレはいいのか?」 指差したのは、部屋の隅に置いてある小さな机と椅子。 その足元の、壁の影になって死角になっているところに、小さな宝石箱が落ちていたのだ。 ロックはそれをひょいと拾いあげ、飾り細工のついた蓋を開ける。 中に入っていたのは、指輪だった。 細い銀のリングの中央に、ごくごく小さなダイヤがあしらわれている。 「大事なものなんじゃないのか?」 ロックに手渡され、リルムはそれをまじまじと見つめた。 「どうしたんだい?」 不思議そうな顔をする少女に、エドガーは声をかける。 リルムは、首をかしげながら自分がいま身に着けているネックレスの細い鎖をたぐった。 ペンダントトップとしてそこについていたのは――…彼女がいま手にしている物と、まったく同じデザインの指輪であった。 「あら、ペアリングなのね」 手元を覗き込んだセリスが、微笑む。 「男物だな、そっちは」 確かに、宝石箱に入っていた方は、ひとまわり大きいサイズであった。 「リルムの父上と母上の形見の品なのか」 「…おかしいよ」 頭の上で繰り広げられる会話に、リルムは困惑する。 「リルム、こっちは初めて見たんだよ!?」 「え?」 「この宝石箱は前からウチにあったけど…こっちのリングは、見たことないよ!?」 「どういうことだ…」 「リルムのお父さんは…リルムが小さいころに、出て行ったのよね…?」 「父親が、こっそり戻しに来た…?」 思いがけず発生した不可解な謎に、一同は頭を悩ませる。 「いつ…?この村は閉鎖的だからよそ者が来たらすぐにわかるよ!?それにこの部屋に入れたのなんて、あんたたちくらいしか…!」 「気配を隠して、忍び込んで、返しにきた…?」 「何のために」 「…さぁ」 「リルム!!!」 突然の大声に、一同は振り向く。 階段のそばに立っていたのは、ストラゴスであった。 「い…言うのを忘れておったゾイ。それは、この間ワシが見つけてそこに入れておいたんじゃ」 肩で息をしながら、ストラゴスはまくしたてる。 「誰かが置いていったとか、そういうことは、ま〜〜〜〜〜ったくないんだゾイ!」 「………………」 「な〜〜〜〜〜〜んだ、そうか!!!」 マッシュだけが、盛大に安堵の声をあげた。 「ビックリしたよ、どんな怪事件が起こったのかと焦ったぜ!」 「“愛の証”を置いていったのか…なんという男だ」 呟いたエドガーはストラゴスの視線に気づき、出て行った時にな、と付け足す。 「でもホラ、指輪って苦手なヤツもいるしさ!!俺だって、細かい作業するときに邪魔になるから、したくないタイプだぜ!?」 慌てて意味のわからないフォローを入れるロックに、セリスが苦笑した。 「…せっかく御両親が残してくれたものなんだから、両方とも持ってたらいいと思うわ」 「まぁ、いいけどね。別に…」 滑稽な大人たちの様子を、リルムは冷ややかに見つめたのだった。 *** 「なぁ、リルムの父親って…」 まるい窓の外を流れていく暗い山の稜線を見やりながら、ロックは呟く。 「…はっきりしたことは、俺たちにはわからんさ」 「…………」 ふたりが押し黙ると、飛空艇の動作音がその静寂を際だたせた。 「言葉にしないほうが、幸せなこともある」 「俺、一瞬おまえかと思った」 「馬鹿。ずっと城にいる俺がどうやってあんな村で子を成せるんだ…」 「そんなこと言うなら、自分の普段の言動を改めろよ」 浴びせられた言葉に、失敬な奴だな、とエドガーは軽く睨む。 「それより、ロック」 「…なんだよ」 「おまえな…あまりセリスを落ち込ませるようなことを言うんじゃない」 「はぁっ?なんであれでセリスが落ち込むんだよ」 エドガーは呆れながら、不思議そうな顔をするロックを一瞥する。 「ペアリング。おまえから贈られたいと思っているだろうに、彼女は」 「え?あぁ…」 自分に向けられるセリスの好意は、もちろんロックも感じていた。 女というものは、変にこういう“形”にこだわるものだということも知っている。 「それを何だ、指輪が嫌いだとか邪魔だとか」 「だって、本当なんだからしょうがないじゃないか…」 支離滅裂なロックの言い分に、エドガーは大袈裟に嘆息する。 「…おまえは、本ッ当にレディの気持ちを汲み取れないな」 「俺は、嘘がつけない人間なんだよ」 「そんなことだと、セリスに愛想尽かされるぞ」 「帝国のメイドを垂らし込んでた奴に、そんなこと言われたくない」 「だから…それは情報を探るためにだな…」 「わかってるよ…だから今こうして無事でいられるんだろ」 ロックは、まるい窓をあおぎ見た。 窓の外を流れる、暗い山の稜線。 そして、そのはるか上方には、不気味な三角形の大陸が浮遊していた。 「セリスに、心の支えを与えてやれよ」 エドガーは静かにつぶやく。 「自分と揃いのものを身に着けてくれているというだけで、心は満たされるんだ」 「……わかったよ」 自分たちは、常に生死の瀬戸際に立っている。 夜が明ければ、ふたたび過酷な戦いへと身を投じなければならないのだ。 「あそこから帰ってきたら、考えてみるよ」 言葉にするには、はばかられる想い。 それと同時に、真摯な願い。 必ず生きて帰ってくるのだという切望を込め、まだ見ぬ“誓いのリング”に想いを馳せるロックなのだった。 |