ロックから、伝書鳩が届いた。 その白い鳥の脚に括り付けられていた筒を外してやりながら、エドガーの胸ににわかにざわめきが走る。 何故なら、ロックがこうやって手紙をよこすというのは、非常に珍しいことだからだ。 反・帝国組織である「リターナー」と、帝国と同盟国である「フィガロ」との、水面下での交流。 仮にも国家の存亡をかけたやりとりをしているわけであるから、基本的には、手紙はパイプ役であるロックが運ぶこととなっている。 だが、緊急を要する事柄であるときは、やむなく伝書鳩を用いることも打ち合わせてある。 もちろん、その場合の文書は暗号にて記すことになる。 帝国に、不穏な動きがあったのだろうか? 伝書鳩を飛ばさねばならないほどの、重大な何かが。 エドガーははやる胸を押さえながら、きつく締められた筒の蓋をこじ開ける。 蓋が外れると、エドガーは筒を逆さまにしてその底を軽く叩いた。 ――すると。 筒の中から、細く折りたたまれた手紙と、緑色のなにかが飛び出してきた。 それは、見たことのない植物だった。 丈はさほど高くない。両手のひらを軽く広げたくらいの大きさなので、30cm弱といったところだ。 だがその葉が、奇妙なかたちをしているのだ。 茎から枝分かれしているその葉は、まるである種の花のような円錐状の形状をしているのだった。 上部の若い葉は、つぼみのようなコブ状の塊であったり、下部の古い葉は、開ききって一部が割れ、普通の葉のようになったりしている。 エドガーはこの砂漠の王国育ちであるから、もとより植物に詳しい方ではない。 しかし、この喇叭にも似た葉を持つ植物が珍しいものだということは、何となく理解できた。 その植物の切り口には、水分を含ませた綿が当てられており、さらにその上から油紙で包まれ、細い麻紐で括られていた。 ロックの意外な几帳面さに、エドガーは薄く微笑む。とはいえ、やはりこの植物も窮屈な長旅に少々くたびれているようだった。 エドガーは棚から丈高い花瓶を取り出すと、机上の水差しから水を注いだ。そして綿などを取り除き、その植物をそこに挿す。 ロックが植物を贈ってくるなんて、珍しいことだ。 エドガーは椅子に腰掛け、ようやく手紙の封を切った。 エドガー 俺はいま、サーベル山脈から北の集落にいる。 地図にも載っていない、小さな村だ。 その近くの森で、珍しい草を発見した。 とても不思議な植物らしい。 少し分けてもらったから、おまえにも送るよ。 ロック 至極簡潔な、用件のみの手紙。 いや、用件というほどの用件でもない内容が、殴り書きのように記されている。 …いったい、こいつは何をしたかったんだろう。 エドガーはわずかに苦笑する。 だが、エドガーはとても嬉しかったのだ。 特に用事もないのに、この自分に手紙を寄越したこと。贈り物をくれたこと。 新鮮な水を与えられたその植物は、いくぶん元気を取り戻してきたように見える。 エドガーは手紙を折りたたんで机の引き出しにしまうと、その花瓶を自室のベッドサイドへと運んだ。 |
一日の公務を終え、エドガーは一杯のワインをあおった後、寝台にもぐりこんだ。 静かだ。 時計が一定のリズムで時を刻む音が、やけに大きく聞こえる。 天井の模様をぼんやりと見やりながら、エドガーは小さく息をつく。 国王の仕事というのは、気苦労が多いものだ。 なにもかもを覚悟の上でみずから進んで王位を継いだとはいえ、その重圧は大きく肩にのしかかる。 なぜ、人は権力を欲するのだろうか。 彼らは「国を統べる」ということを本当に理解しているのだろうか。 恐怖や抑圧による支配は、かならずいつかは破綻する。 本当の統治とは、民を愛し、民に愛されることで成立するのだ。 帝国との見せ掛けだけの同盟関係、自国の官吏にも内密のうちのリターナーとの接触。 この緊迫した情勢の中、心身ともに安らぐことなどは皆無といって等しかった。 だが、疲れて逼迫した姿などを国民に見せるわけにはいかない。 国王は、国の指導者であると同時に、国家の象徴なのだ。 愛するフィガロとその民のために、自分は「良き王」を演じなければならない。 だが…時々は、その身分を忘れたいと思うときもある。 ロックは、今はもちろん仕事上のパートナーでもあるが、なにより心を許せる友人だった。 王家のしがらみの中で窮屈に生きるほかない自分に吹いた、草原の風だった。 技術にしろ経験にしろ、自分にはないものを持つロックのことが、羨ましくもあり憎くもあった。 だが、絶対に口に出しては言ってやらないが、確かに眩しい存在には違いなかった。 (……ガー、エドガー…) 瞳を閉じると、あの笑顔が、あの声が、鮮烈に思い出される。 (…エドガー、エドガー) こんなにもハッキリと。まるで耳元で囁かれているように。 ――もはや病気だな、これは。 浅いまどろみの中、エドガーは口元を小さく歪める。 (エドガー? おい、もう寝たのか?) 「…――!?」 エドガーは、がばりと身を起こした。 違う。幻聴などではない。 暗がりの中、エドガーはあたりを見回す。 「ロック、いるのか…?」 だが、その気配はどこにも感じられない。 慌てた様子のエドガーの耳に、声を殺したロックの含み笑いが聞こえる。 「…何だ、いるのなら姿をみせたらいいだろう!」 珍しくムッとしたようなエドガーの言葉に、ようやくロックは観念して口を開く。 「違う違う。俺、そっちにはいないんだよ」 「………?」 話の意図が、まったく見えない。 「どういうことだ?」 「エドガー。おまえに送った草、あるだろ?」 声の促すままベッドサイドに置いた花瓶を見やり、エドガーは首をひねる。 「…これのことか?」 「そ。俺たちは今、それを通してしゃべってんだぜ?」 「――――――…」 「あーーーっ、信じてないだろ!!」 眉をひそめるエドガーの様子がありありと思い浮かび、ロックは非難めいた声を浴びせてみせる。 「それはな、“ひそひ草”っていう植物で、音を遠くに飛ばすことができる、不思議な草なんだってさ!!」 「ふぅん……」 なおも歯切れの悪いエドガーの返事に、ロックはムッとした声をあげる。 「俺はリターナー本部にいるんだってば!! なんなら今、レテ河の滝の音とかバナン様の声とか聞かせてやろうか?」 「…いや、信じるって。信じてるさ、ロック」 それにエドガー本人はリターナー本部に赴いたことがないので、聴かせてもらっても本物かどうかの判別などつかない。 「しかし…音を遠くに飛ばす草、か。珍しいものがあるものだな…」 「だろ?」 草に顔をよせてまじまじと見つめてみると、ロックが小さく笑う息づかいが聞こえた。 「おまえに、見せてやりたくってさ!」 「………………」 なかなか、可愛いことを言う。 遠く離れていても、自分のことを想ってくれていたのだという事実が、なによりもエドガーの胸を熱くした。 「ロック、今ひとりなのか?」 「ん?あぁ。明日こっちで会議があるから、ちょっと資料をまとめてたとこ」 「そうか……」 自分たちは、それぞれの仕事で忙しい。 リターナーからの書簡を携えてロックがフィガロを訪れるときでさえ、今となってはじっくりと腰を据えて滞在することなど皆無に等しいのだ。 「なぁ、ロック…」 「なんだ?」 「溜まってないか?」 「……………」 「どうなんだ、ロック?」 「………おまえなぁ」 大きなためいきと、呆れたような、大げさな声。 「そんなことしか、考えられないわけ?」 「あぁ、考えられないね」 「バカか」 「何を。俺はおまえを心配しているんだぞ?」 「…心配?」 「あぁ。出すものはきちんと出さないと、体に悪い」 「ほー…。おまえは毎日しっかり出してるのかよ」 「おかげさまで、相手には困らないもので」 「…そいつは良かったな」 「で、どうなんだそっちは」 「うるせぇなぁ…」 「新しい女は出来たのか?」 「余計なお世話だッ!!」 その瞬間、ものすごい轟音が植物から響き渡った。 「!? ロック…!?」 だが、待てども何の返答もない。 おそらく、気を悪くしたロックがあの植物を投げ捨てたのだろう。 エドガーは、小さく肩をすくめてみせた。 あいつが、昔の女を忘れられないことなど重々承知だ。 だが、彼女を想い続けることは、必ずしもロックにとっての幸せではないような気がする。 少しでもあいつの心を軽くできるならと思ったが…逆効果だったようだ。 エドガーは、深く溜息をついて再び寝台に潜り込んだ。 |
1週間後、フィガロ城――。 エドガーは執務室でいつものように膨大な書類に判をついていた。 すると。 ――ガンッ!!!! 「!?」 なんの前触れもなく起こったものすごい衝撃音に、エドガーは顔をあげる。 見やると、扉を足蹴にして開けたのだろう、軋む扉の前に仏頂面をしたロックが立っていた。 「なんだ、騒々しい。もうちょっと静かに登場できないのか」 「知るかっ。ホラ、バナン様からの手紙だ!!」 投げてよこされたそれを、エドガーはしっかりキャッチする。 「そういや、おまえの“ひそひ草”とやらはどうしたんだ?」 「捨てた!!!」 尋ねるエドガーに、ロックは憤然と即答する。 「…もったいない」 「リターナーの連絡用に使おうと思って送ったけど、やめだ、やめ!!!」 語気荒く吐き捨てるロックの言葉に、エドガーは手紙の入った筒の飾り紐をほどく手を止め、眉をそびやかして呟いた。 「…まぁ、それは妥当な考えだな。もし第三者があれを入手したとして、傍受した内容を帝国に横流しされたらオシマイだからな」 それを聞いて、ロックの動きも止まる。 「なっ…!?」 作戦を傍受される可能性があるということは、つまり、誰かに聞かれる可能性があるということだ。 「め…めずらしい草だもんな…他に誰も持ってないよな…」 「さぁー。どうだろうな?」 「大丈夫だよな…そうだよな……」 「作戦に使う前に気がついて、良かったなロック」 他人事のように無責任に笑うエドガーの言葉が、やけに遠くに聞こえる。 途方もない疲労感に襲われたロックは、頭を抱えてその場にしゃがみこんだのだった――。 |