追憶の至宝
プロローグ

 人混みの中、少女は息をひそめて「彼」を見つめていた。
  「話しかけたい」 「言葉を交わしたい」
 しかし、少女にはそれができなかった。
   風に揺れる、灰褐色の髪。
   人なつっこそうな印象を与えるダークブラウンの瞳。
   屈託のない笑顔。
   輝ける太陽のもと、大自然を駆けめぐる姿。
   一見悩みなど無さそうにみえても、
   それは周囲に心配を掛けたくないがためであること。
 少女は「彼」のことをよく知っていた。
 その姿を見るだけで、少女の胸は一杯になった。
 けれど少女は「彼」の前にその姿を現そうとはしなかった。 
  「恋」なのか「愛」なのか それとも、もっと別のものなのか。
 そんな分類さえ、少女の前では無意味なものでしかなかった。

  
        いつも遠くからあなたを見守っていた。
        あなたの側にはいられないから。
        あなたのしあわせを望めばこそ。
        ――でも、今日だけは……
        せめて、今日だけは
        少しでもあなたの近くにいたかったの。
        気付かれなくても、構わないから――……。

 


「ちょいと、そこのおにいちゃん、リンゴ、安いよ!」
「さあさあ、見てっとくれ! 掘り出し物がいっぱいだよ!」 
 客引きの威勢のいい声があちこちから聞こえてくる。人々の活気に溢れた、賑やかな街。久しぶりに訪れた、ニケアの街。
 俺―ロック=コール(30)―は、手荷物の入ったリュックを担いで、さまざまな商品があふれかえる市場の雑踏の中をぶらぶらと歩いていた。古くから港町として栄えてきた場所であるせいか、ここはほかよりもずっと人々の熱気に満ちあふれている。
 
 あれから、4年経ったんだよなぁ……。
 ふと、俺は感慨深げにうなづいてみる。実はここ数年のところ、俺は旅なんてしてなかったんだ。いろいろと忙しくてね。それどころじゃなかったっていうのがホントの所かな。
 ケフカをブッ倒してから数ヶ月後に、俺はセリスと結婚した。っていうか、結婚しざるを得なかったっていうか……。
 えーと、その、つまり……。デキちゃった結婚、ってヤツだ。
 でも、別に後悔してるってワケじゃないぜ。そりゃ、セリスに打ち明けられたときはかなりビックリしたけど、(エドガーに相談したらめちゃくちゃ呆れられたしな……。ははは……。)でも、セリスが大切な存在だってのは事実だし、セリスも俺のことを大事に思ってくれている。あの冒険の日々に芽生えた感情は、まぎれもなく本物だと、俺は胸を張って言える。
 俺はあいつを、セリスをいつまでも守っていきたい。
 
 それにしても、人間って強いもんだよな、と思う。
 久しぶりにあちこちまわってみたけど、あれほど壊滅的なダメージを受けたにも関わらず、どの街も復旧作業は着々と進んでいた。大陸と大陸をつなぐ一般的な交通手段である定期船も、忙しく港を往来している。人々の心に、希望があふれている証。新しい時代を築こうと、みんな一生懸命生きてるんだよな。
 焼けこげた大地からも、草木の新芽が顔を出し始めていた。
  あたらしい、生命。
  俺たちの娘、レイラもすくすくと育っている。
「レイラ」。それが、娘の名前だ。
 女の子だったらこの名前にしたい、とセリスが付けたんだ。レイラの「レイ」はレイチェルから取ったらしい。レイチェルが、俺にとってかけがえのない存在だということを知ったうえで、その想いを忘れてほしくないから、と。
 本当はセリスとレイラもこの旅に連れて来たかったんだけど、レイラがまだちいさいってこともあって、今回は一人旅ということになったんだ。
 今回の旅のルートは、比較的単純なものにした。あまり長く家をあけるわけにもいかないからだ。……なら旅なんかしなきゃいいじゃないかって言われるかも知れないんだけど、うーん……、無性に心がうずくっていうか、何かが俺を呼んでいるような、まぁ、とにかく理屈じゃないんだよな。
 でも、いくら数年前まで世界中を駆け回っていたとはいえ、子供の頃から染みついた放浪癖ってのはなかなか抜けないもんなのかな。
 我が家があるアルブルグから定期船でサウスフィガロに向かい、フィガロで休養を取ってコーリンゲンへ。そこでレイチェルの墓参りをして、コロシアムを観戦に来る人たちの足がかりとしてつくられた新しい港町ノルズポートからニケア経由でアルブルグへ帰ってくる、と。
 ちょうどこのニケアで物資の積み込み作業やらなんやらがあるということで、俺はしばらくこうやって時間をつぶしていたわけなんだ。

 俺は街の空気を胸郭いっぱいに吸い込んだ。
 かすかに潮の香りが風に流れてくる。心地よい緊張感。家でセリスやレイラと過ごすのも悪くないけど、やっぱり俺にはこういうのが性に合ってるんだろうな。
 知らない人たちであふれかえる雑踏にもまれて、耳に飛び込んでくる聞き慣れない微妙な言葉のなまりに新鮮さを覚えて、酒場では地鶏のあぶり肉や独特の地酒で舌鼓を打つ。
 何も街ばかりじゃない。雄大に広がる草原や、はるか彼方へと連なる険しい山脈、悠然と流れる大河のうねりなんかを目の当たりにすると、ホント、俺の存在とかそれまでくよくよ悩んでたことなんかがちっぽけなものに思えてくる。
 自然の息吹に抱かれる悦び、母なる大地への畏敬の念、っていうのかな。
 ……なーんて俺らしくもなく難しいことを言ってみたりしたけど、結局のところ、俺は気ままな旅が大好きってだけなんだ。
 わくわくするような発見が待っていそうで、思いがけない出会いに巡りあえそうで(…別にヘンな意味じゃないぞ)。
 まるで子どもみたいだと思われるかも知れないけど、俺のモットーは「いつまでも少年の心を忘れない、理解のある父親になること」だから、これでイイと思っている。堅いのは俺に似合わないだろ?
 でもやっぱり、そうそう面白いことが転がってるわけでもなくて、今回の旅はそろそろ幕を閉じようとしてるってワケだ。

 今回の旅の収穫は、コーリンゲンで買った小さな熊の木彫りの置物とノルズポートのタペストリー、俺が自分で洞窟で掘り出したエメラルドの原石をブローチに加工してもらったもの。
 そして、10年ぶりの、あの風景――…。
 俺の運命を、大きく揺るがした、あの、景色だ――。
 


 飛空艇で大空を自由に飛び回るのは、とても気持ちがいい。チョコボに乗って広大な大地を駆けめぐるのも、決して悪くない。
 でも、船旅は時間を忘れさせてくれるような気がする。何処までも続く大海原で、ボーっと波のさざめきだけを見つめていると、なんだか昔のことがいろいろ思い出されてくるんだ。
 懐かしいこと、嫌なこと、楽しかったこと。……あ、いっとくけど、俺は船酔いはしないぜ。……確かに吐いちまったことは一回だけあるけど、あれは寝不足だったからだよ。

 俺は船に乗り込み、甲板にあがった。 平日とはいえ、船は程よく混んで賑わっている。船の高みから桟橋のあたりを見おろすと、新婚旅行に出かけるのであろう若いカップルとその知人たちが花束や言葉を交わしあっていた。
 結婚、か。
 早いもんだよな。セリスの白いウエディングドレス姿、今でも良く覚えている。……キレイだった。
 ……そういえば、あの時のブーケはリルムが取ってたよな。花嫁のブーケを取った者がその中で次に結婚する人だ、っていうようなことを聞いたことがあるけど、どうなんだろうな。あれから、みんなには会ってない。エドガーにだけはこの間会ったけど、相変わらずだったなぁ。
 俺は手すりにもたれて空を見上げた。ぬけるような青空。まるで吸い込まれてしまいそうだ。

 出航の時間が間近に迫ってきたらしく、ここでも最後の別れを惜しむ人々が必死に手を振りはじめた。彼らの邪魔をするのも何だから、俺はしばらくこの場を離れることにした。出航してしまえば、ここも落ち着くだろう。
 手すりから腕をはずし、軽く息をついて身をひるがえす。顔をあげ瞳に映るのは、せわしなく行き交う人々の流れ。手荷物をかつぎなおし足を踏み出そうとしたその瞬間、俺は自分の目を疑った。

 旅行鞄を抱えてごったがえす人々の間をぬって、ひとりの少女がゆっくりと通り過ぎてゆく。
 すべてを包みこむ深海を思わせる紺碧の瞳。白く透き通る肌。腰までとどく豊かな柔らかい髪。吹き抜ける風が彼女の長いスカートをなびかせ、どこからかラベンダーの香りをかすかに運んできた。
「…――――!」
 思いかけず、俺の口から、ある少女の名前が漏れる。
「えっ……?」
 少女はギクッとして振り返った。
 その瞳が、驚いたように俺をとらえる。   
 ……だが。
(は……なにバカなこといってんだ、俺……)
 その名がふいに口をついて出てきたことに、俺は少しばかりの戸惑いを覚える。
 あいつが、レイチェルがこの世にいないのはわかりきってる事じゃないか。
 いくら似てるとはいえ、いまさらあいつの名前がこんなにもすんなりと出てくるなんてどうかしてるぜ…! 

「ゴメン、人違いだった。ちょっと知り合いに似てたもんだから……」
 俺は自分の浅はかさに心の中で苦笑しながら、その少女に詫びた。
「…知り合い?」
 少女がためらいがちに言葉を返してくる。
 ……驚いたことに、声までも俺の記憶の中のあいつの声と、まったく同じだった。
「あ……あぁ、昔の……、ね」

「ふうん、そうだったの……」
 ゆっくりと動き出した客船のラウンジで、グラスの中の氷をつつきながら、ラチルがつぶやいた。
  ラチル。それが、この少女の名前だった。
 名前の響きが似ていたので、呼びかけられて立ち止まったのだという。
「ゴメン、初対面の人にする話じゃないよな、こんなの」
俺がすまなさそうにそう言うと、ラチルはにっこり微笑んだ。
「ううん、そんなことないよ。私もおじさんのコト初めて会った気がしないもん」
「お……おじさん!?」
 ショックだった……
「ひっどいなぁ、俺まだ30だぜ!?」
「あらあ! 18歳の私から見たら立派なオジサンじゃない!」
 せめてお兄さんにしてくれないかなぁ……と、肩を落としてため息をつく俺を見て、ラチルは、やぁだもうロックったら!、とおかしそうに笑った。
 
 ラチルの容貌は、実に驚くほどレイチェルにうりふたつだった。レイチェルとなんらかの繋がりがあっても不思議ではないほど同質の雰囲気を醸し出している。
 白磁の器のようなすべらかな肌に、亜麻色の髪。
 石鹸の香りがかすかに漂う清潔なブラウスに、明るい柄のワンピース。
 豊かな髪をまとめるために、サイドの部分を耳の上の方で束ねて小さめの髪飾りでアクセントをつけ、素朴ではあるけれども可憐なイメージに仕上げている。
 そんな少女が今、俺の目の前で、確かな存在感を持って微笑んでいる。
 まるで、あの頃に舞い戻ったみたいだ……と俺は思った。少し忘れかけていた感覚が、俺の中に広がってゆく。
 あたたかい陽射しの中、船の心地よい振動。
 俺とレイチェルのセピア色の想い出が、にわかに鮮烈な色彩をもって甦ってきた。
 

「ねぇ」
 不意にラチルに呼びかけられ、俺はハッとして顔を上げた。
「ん?」
 白い柱の間からあたたかい陽射しが入る落ち着いた雰囲気のラウンジのあちこちから、人々の話し声がきこえる。それぞれが、このひとときをのんびりと楽しんでいる。
「なんだ?」
 ラチルは何も言わずにじっと俺の顔をみつめる。レイチェルと同じ、深いグリーンの瞳。心やすらぐ森林の色彩……。

「そのレイチェルってひと、ロックの初恋の人なの?」
 想い出にひたっていたところにこんな質問をされて、たまらずに俺はすっとんきょうな声をあげる。
「………な……ッξ」
 耳まで赤くなったのが自分でもわかった。
  あいつとおんなじ顔してこんなことを訊かれたのでは、たまったもんじゃない。それでなくても、俺はこういうシチュエーションには弱いのだ。
「あは……っ、正直なんだー! ……カワイイっ!」
「な……なんだよう……!」
 ラチルは必死に笑いをこらえようとしているが、肩が小刻みにふるえている。俺はバツが悪そうに頭を掻いた。いい年した男が女のコにカワイイなんて言われて確かに妙な感じではあるんだけども、不思議と悪い気はしなかった。

 ふいにラチルが、何か思いついたようにパチン☆と手をたたいた。
「よぉし、アルブルグに着くまであたしがつきあったげる! 今日だけは奥さんと子供のことは忘れて、初恋のおもいでにひたろう!」
 


 ラチルは、つかみどころのない変わった娘だと思う。
 ころころと無邪気に笑っているかと思えば、ふと大人びた寂しそうな表情をみせる。……いや、俺が彼女の寂しそうな表情に気付くと、ラチルは慌ててはしゃいでみせているようにも感じる。……レイチェルでないことは確かなんだけども、どことなく本当にレイチェルっぽいような雰囲気も……ないこともない……。
 いや、彼女とレイチェルを重ねることは、彼女にもレイチェルにも、そしてセリスにも失礼なことだというのは充分わかっている。
 レイチェルが再び俺の前に現れてくれるなんて、そんなマンガや小説みたいなことあるわけないことも承知してるさ。
 だが、彼女はあまりにも謎が多くて、そういう疑惑を持ちたくもなるんだよ。

 ラチルは、ひとりで船旅を楽しんでいるということだった。
 若い女のコが一人旅とは何かワケありのような気がするが、尋ねようとすると、あたしの素性なんて知らない方がミステリアスでステキでしょ、などと言って詳しいことはあまり話してくれなかった。
 それじゃあ、俺のこともあまり知らない方がステキなんじゃないか?と言ってやったら、「あら、でもロックのことは知りたいもの」だと。
 まったく勝手なハナシだ。

 とにかくラチルは、俺の話を聞きたがった。レイチェルのことやセリスのこと、冒険の旅のことや今の生活のこと、なんでも。
 ラチルはかなり博識で、世界中のいろんな地のことを知っていた。俺が話すことに絶妙なタイミングであいづちを入れてくれたり、話題を膨らませてくれたり。
 俺も、職業柄たくさんの人と交流があった方なんだけど、こんなに話がしやすい人っていうのは、本当に珍しい。頭の回転が早いんだろうな。
 本人があのとき言ったように、俺を「初恋の想い出」に浸らせてくれるためにレイチェルになりきろうとしているのかどうか知らないけど、ラチルは俺の話をふわっと微笑みながら聞いてくれる。
 その仕草が本当にレイチェルにそっくりで、何度も俺はレイチェルと話しているような錯覚に陥りそうになる。少しばかりの罪悪感にかられながらも、心の何処かでしあわせを感じているのは事実、なんだろうな……。
 
 俺は鏡に映った自分の顔をじっとみつめてみた。
 確かに、まだ20代前半だと言っても通用するルックス……だと思う。しかし、ラチルは自分のことは何も話さずに、俺だけにこんないい思い(…かどうか知らないけど)させて、どうしようっていうのだろうか。
 ラチルには何のメリットもないはずなんだが……。
 俺は、鈍くかがやく水道の蛇口を軽くひねった。キュッという小気味の良い音とともに飛び出してくる冷たい水が、手のひらにぶつかり、指の間をすり抜けてゆく。

 ……もしや、別れ際に金をせびろうってんじゃ……?
 
 そんな考えが頭をよぎって、俺はあわてて首を振る。
 いやいや! ラチルはそんな娘じゃない! ラチルにはいくら子供のようにはしゃいでも隠しきれない上品さがある。数時間一緒に過ごしてもそういった卑しさは微塵も感じられないじゃないか。俺の「人を見る目」は確かなハズだ……!
 自分を信じろ、ロック!
 そう自分に言い聞かせて、俺は大きく頷いた。

「おそかったね、ロック」
 俺が戻ったのに気付くと、ラチルはにっこりと微笑んだ。
「わ…悪ィな、ちょっと考えごとしてたもんで……」
 濡れた手をひらひらと乾かしながら歩いてくる俺に、ラチルが白いハンカチを差し出す。
「…考えごと? お手洗いで?」
「はは……、まぁ、ちょっと……」
 トイレでラチルのことを考えていたとは、まさか言えるはずがない。

「……なあ、ラチル」
 ハンカチを返しながら俺はラチルに声をかける。
「そろそろそっちの話も聞かせてもらえると嬉しいんだけど?」
「どうしたのよ、急に」
 ラチルが形のいい唇をとがらせる。
「だってさ、ホラ、アレだろ。俺が自分のことばっかしゃべるのって、自己中心的みたいだろ?」
「私はそんなの気にしないけど? ロックの話、おもしろいもの」
「それにそろそろ俺の話題もなくなりかけてきてるしさ。ラチルの話も聞きたいんだよな」
「……あんまり話したくないんだけどなぁ……」
 ラチルは、きまりが悪そうに小さくうなだれる。
「どうして? なんかマズイことでもあるのか?」
 しばらく何かを考えているようだったが、やがて決心したのか、俺に耳を貸すよう手招きをして、小声で話しだした。
「……実は、私ね。ちょっといろいろあって、自由でいられるのはもうしばらくの間だけなの。私がここでこうしていることがある人に知れると、すぐに連れ戻されるかもしれない。でも、それはイヤ。残された時間を、好きなように過ごしたいのよね……」
 思いがけず耳にしたラチルの複雑な事情に、俺は神妙な面もちで頷くしかない。
「そっか……大変なんだな、ラチル……、っと、待てよ!?」
 何か、おかしい……。
 ここにいることがバレるとまずいのに、「ラチル」という名を明かしているということは……? 俺は、眉を寄せ低い声で、頭をよぎったある考えを口にした。
「……もしかして『ラチル』も偽名なのか!?」
「さぁ、どうでしょう? ラチルなんてそれほど珍しい名前でもないわよ?」
 俺の問いに、ラチル(仮)はしれっとして答える。
「……さっきの話も嘘なんじゃないだろうな……?」
「あら、あれはホントよ」
 俺は訝しげにラチルの顔を覗き込んでみたが、確かに嘘をついているような瞳ではない。
「じゃあ、どういうことかコッソリ話してみろよ! こう見えても俺は結構口固い方なんだからさ! 場合によっちゃ、ボディーガードするぜ!?」
「どういうこと、ってどういうこと?」
「いや…さっきの言い方、なんか、お嬢様か何かみたいな言い方だなー、と思ったからさ」
 ラチルは小首を傾げて、軽く息をつく。
「ん――…、そうねぇ。どういうことだと思う? ロック、当ててみて!」
 質問したのはこっちなのに、いつの間にか問題がすり替わっている。
 でも、なんだか俺は安心した。仮に、本当にラチルがレイチェルだったとしたら、こういう返し方はまずしないはずだ。俺は、ラチルとレイチェルをはっきりと区別したくて、無意識のうちにラチルの素性を探るような質問をしたのかもしれない。

 俺はあごに手を当てて、ラチルの正体についていろいろと考えをめぐらせる。
「そうだなぁ……。うん、やっぱりラチルは『大金持ちのお嬢様』で、しばらく後に『親が決めたフィアンセとの結婚』が決まってるんだ!それで、『それまでの自由な時間を、旅にあてている!』……どうだ?」
「うーん、近いけどちょっと違うな。第一、嫁入り前のお嬢様を親が一人旅に出すかな?」
「あぁ、そっか。それじゃあ『逃亡』かな、『早すぎる結婚』からの」
「どうかな?」
 ラチルがうふふ、と含み笑いを漏らす。
「あっ、それともラチルはこう見えても『凄腕の泥棒』で、『盗んだ金を使いながらアシがつかないように各地を転々としている!』」
「ひど――いっ! 私、そんなふうに見える!?」
「じゃあ、ラチルは『妖精の国の次期女王』で、『友好関係を築くために人間界に視察に来ている!』」
「あっ、それいい! 可憐な私にピッタリ! うん、それにしよう!」
「あ――の――な――……」
 あからさまにふざけているラチルの態度に、俺は眉をひくつかせる。
「ちゃんと答えろよっ! ずるいぞ!」
「なによー、ロックだってふざけてるじゃないの!」
 ラチルにぴっと指を突きつけられて、俺は言葉を詰らせる。ラチルの紺碧の瞳が、いたずらっぽく俺をにらみつける。
 甲板を吹き抜ける風が、ラチルのリボンを揺らす。

「…―――ぷっ」
 しばしの沈黙の後、俺たちはどちらからともなく笑いだした。
 ラチルの素性なんて、本当はどうだっていいのだ。お互いにそんなことはわかっている。 まわりから見ればまるでバカな、子供じみたやりとりだけども、たまにはこういうのも悪くない。ちょっとおちゃめ(死語)な気分に浸りたいだけなんだ。

「でも、ロック」
 風になびいて乱れそうになる髪を片手で押さえながら、ラチルが尋ねる。
「もしあたしがすごいお嬢様だったとしたら、どうするの? やっぱり、今までと態度変わっちゃう?」
「うん?」
 微笑みの中に潜む真摯なまなざしに一瞬ひるんだが、実にくだらない質問なので、俺は笑いながら言葉を返す。
「そのままに決まってるだろ? だってお姫様だろうがスラムの娘だろうが、ラチルはラチルじゃないか」
 それを聞くと、ラチルはいたずらっぽく俺を見上げて、人差し指を立てた。
「そう! ロックのそーゆートコロって、好・き!」
「ば……っ、ばかやろう!」
 ふたたび慌てる俺をみて、ラチルはクスクスと笑いだした。
「……おい……、おまえ、おもしろがってないか……?」
ムッとしている俺の声をさえぎるように、ラチルは大きな歓声をあげた。
「わぁ……! ねぇ見て、キレイ……!」
 指さす方をみると、ちょうど太陽が地平の彼方へ沈もうとするところだった。夕暮れの紅く染まった大空が水平線に少しづつその色を吸い取られ、一方では天の高いところへと、実に繊細なグラデーションがつむぎだされてゆく。水面で踊るきらめきのカケラたちも、どこか幻想的で、直接こころに何か訴えかけてくるような気さえしてくる。そして、もうしばらくすれば、こぼれ落ちてきそうなほどの満天の星たちが、頭上にその姿をあらわすことだろう。
「…ほんとうにキレイな景色を見た時って、涙が出そうになるよね……」
「ああ……」
 俺達は言葉もなく立ちつくした。

 美しい風景は、人の心に残るものだ。
 それに悲しい思い出がつけば、なおさらのこと。
 俺は頬をなでる潮風に髪をあそばせながら、10年前のことを思い出していた。
 


 レイチェルには、野の花がよく似合う。
 バラとかユリとかの華やかな花よりも、道端につつましく強く咲いている素朴で可憐なちいさな花が、レイチェルのイメージそのものなんだ。

「うわぁ、これ、キレイね!」
 つい今しがた俺が持ち帰った鳥の羽根を陽の光に透かして、レイチェルは感嘆の声をあげた。
「だろ!? 北西の森で見つけたんだよ」
 羽根の色は、普通に見るとつややかな深い碧なのだが、光の当たる角度によって幻想的な七色に変化するのだ。
「その鳥はすごく珍しくて、めったに見かけることができないヤツなんだぜ! 羽根だけでもすっごく貴重なんだ」
「へぇ……! そうなんだ!」
 宝石の小さな原石とか、ちょっと変わった木の枝とか、他人が見ればガラクタにしか見えないようなものを足元に広げながら、今日見てきた光景や、レイチェルが行ったことのない遠国のことなどを俺は得意になって話してやる。たくましく根を下ろす大樹の木漏れ日のもと、早春のやわらかい若草にじかに腰を下ろして、俺は今回のトレジャーハンティングの報告をレイチェルにしているのだ。
「こんな珍しいのを見つけられるなんて、ロックって運がいいのね! すごい!」
 レイチェルが瞳を輝かせながら俺の方に向き直る。
「あったりまえだろ! 俺は世界一のトレジャーハンターなんだから! そのうちもっとすごい宝を手に入れてみせるからなっ!」
「うん!」
 レイチェルのまぶしい笑顔が、俺の心を幸福感で満たす。
 穏やかな空気、緩やかな時間。
「愛」とか「恋」とかいう言葉を用いるのがためらわれるほど純粋な想いが、俺の中に広がってゆく。
 レイチェルとのひとときは、俺にとって至上のやすらぎだった――…。

 俺は、こんなに満たされた生活を送るのは初めてだった。
 本当に「俺」をわかってくれる人間に出会うのは、初めてのことだったんだ。

 澄んだ空、みどりの香り、手作りのお弁当。
 大いなる自然の中、レイチェルとふたり。
 俺は今でこそ、こんなにも明るい太陽のもとで他愛のない事を語り合う、なんて、ごく普通のありふれた、そしてあこがれていた生活を送っているけど、2年前までは……違っていたんだ。
 俺はレイチェルと出会ったことで、生まれ変わったんだ。

 俺は物心がつく前から、トレジャーハンターである親父と各地を転々としてきた。古びた遺跡や大きな建物に進入しては、そこで手に入れた物を売り払って食べてゆく……、そんな生活を送っていた。
 生きるか、死ぬか。
 まさにそんな言葉がぴったりだったような気がする。陽の当たらない裏社会で、人々の陰でひっそりと生きていたんだ。
 名前も、今とは違うものだった。

 親父は、もしもの時のために、幼い俺にさまざまな処世術をたたき込んだ。子どもが1人、この世界で生き延びてゆくためにはどうすればいいか、を。
 実際、親父はとある街に立ち寄ったときに行方不明になってしまい、俺は1人取り残されてしまった。親父を捜そうにも、当時10歳にも満たなかった俺はどうしようもなく、途方に暮れたが、その時はたまたま貧しい老婆に拾われた。
 彼女は街はずれで1人で暮らしていて、話し相手が欲しかったんだろう、身よりのない俺にいろいろと良くしてくれた。
 聞いたこともない民話とか、おとぎ話だとか、初めて出会う不思議な世界に、俺はわくわくしたものだった。
 だが、数年後、その老婆も死んでしまった。俺は今度こそ1人になった。

 知った者もなく、幼い少年が一人。何をすればいいのかもわからぬまま、時だけがゆっくりと流れてゆく。誰もいない部屋の隅で膝を抱えていた俺は、ふと忘れかけていたことを思い出した。
 親父はどうしているだろう…? 生きているのだろうか?
 今思えば、本当に親父に会いたかったわけではなかった。きっかけが欲しかったんだ。この街を出て、生きてゆくための目的となる何かが。
 俺は、自分もまたトレジャーハンターになって世界中をさまよっていれば、そのうちめぐり会えるような気がして、旅をするようになった。
 だが、それにはやはり金がいる。
 働こうにも、10を少しばかり過ぎたぐらいに任せられる仕事は小遣い銭が得られる程度のもので、てんで足りやしない。

 旅を続けながら簡単に金を手に入れるには――…。
 盗み、は後が面倒だし、俺の趣味じゃない。それに、顔が割れるとなにかと不便なことになる。…とすると、残る方法は1つ。
 いつだったか、なにやら哀しげな瞳をしながら親父が呟いていた。俺が母親にそっくりだってことを。……つまり、「そういうこと」だ。
 俺はそういうのをガキの頃から親父に教えこまれていたから別になんでもないことだと思っていたし、すっかりビジネスだと割り切っていた。
 実際、けっこう稼がせてもらったし、こんなラクなことはないと思っていた。
 ひなびた酒場や路地裏に立ってさえいれば、勝手に客がやってくる。まっとうな職に就いている、世間ではそこそこ地位のあるような人間に、そういう趣味のヤツが多かった。
 俺は、すっかり汚れていた。

 そういった生活から俺が抜け出すきっかけとなったのが、レイチェルだった。俺は、なぜこいつが他人のことを、街で偶然出会っただけの初対面の人間を、そんなにも心配できるのかわからなかった。でも、まっすぐな瞳が俺の心を捉えて離さなかった。
 レイチェルはコーリンゲンの中でもかなり裕福な家庭で育ったそうだが、そんなことはちっとも鼻にかけない、素直な優しい娘だった。
 何をもってしても汚れない、誇り高い、芯のしっかりした娘だった。俺なんかとは全然違う種類の人間だった。けれど、レイチェルはそんなことは少しも気にしなかった。こんな俺にも対等な立場で接し、温かい手を差しのべてくれた。
 俺はしだいにそんな純粋すぎるレイチェルに惹かれていった。かけがえのない、大切な存在だと思った。
 そして俺は心に誓った。
  もう、前のようなことはしない。俺はまっとうな人間になる。
  俺は、生まれ変わる。レイチェルにふさわしい男になる。
 過去に「鍵」をかけて封印する。
 そういう意味を込めて、俺は新しい名を名乗るようになった。とりあえずコーリンゲンの酒場で働きながら、近くの森や洞窟を探索するようになったんだ。

 いつの日か世界中を股にかける最高のトレジャーハンターになって、この世で最高の宝物――レイチェルを、手に入れることを夢みて――…。

「そんなに気にいったんなら、やるよ、ソレ」
 レイチェルが、いつまでもさっきの碧い羽根を透かしたり裏返したりして飽きもせず眺めているので、俺は声をかけた。
「えッ…、そんな…。…――いいの?」
「もちろんさ! そんなもの、このロック様には何の価値もないんだから。……レイチェルの笑顔にくらべれば、な!」
 親指を立ててウインクしてみせる俺に、レイチェルは目を瞬かせてクスクスと笑う。
「ホントのことだぜ!?」
 俺が大真面目な顔でレイチェルの額をコツンとつついてやると、
「うん、ありがとう! 私もこれ、ロックだと思って大切にするね!」と、その瞳と同じ色彩を放つ碧い羽根をひらつかせて微笑ってくれた。

 俺は苦笑しながら、ふと思い出した。
 この間、北の山を探索したときに美しい花畑を見つけたことを。
 それは、俺のそれまでの人生の縮図といっても過言ではないような光景だった。
 狭い山道を越え、薄暗い洞窟を抜けたあとに瞳に飛び込んでくる、目のくらむようなまばゆい陽の光。かすかに漂う甘い香り。そして、あたり一面に広がる白くてかわいらしい花の絨毯と真っ青に澄みわたる大空とのコントラスト。すべてを浄化してくれそうなさわやかな空気。眼下には海や森や草原や砂漠がパノラマのように広がり、目を凝らせばコーリンゲンの村のかまどの煙まで見えるんだ。
 俺はどうしてもその景色をレイチェルに見せたくなった。
「レイチェル、感激するのはまだ早いぜ。もっとキレイで、ずっと人に知られてなくて、きっとおまえが喜ぶもの、俺、知ってるんだ」
「えっ、何? なんなの?」
「へへへ―――っ、今度一緒に行こうぜ。それまで、ヒ・ミ・ツ!」
 それに、もうすぐレイチェルの誕生日だ。きっとこれは最高のプレゼントになるだろう。レイチェルの嬉しそうな顔が目に浮かぶようだ。
 そして、俺は心に決めた。この夢みたいな景色の中で、俺のこの想いを告げようと――……。

 しかしそれは果たされなかった。
 花畑へと続く洞窟内の吊り橋で、バランスを崩しそうになった俺を助けようとして、レイチェルが転落してしまったんだ。
 俺は無我夢中で気絶したままのレイチェルをコーリンゲンに連れ帰った。ケガは大したこと無かった。だが、その時のショックで記憶をなくしてしまったようだった。
 ……俺のことも、何もかも――…。
 そして、レイチェルがあの花畑を見ることは、永遠に叶わなくなってしまった。
 


 日はもうすっかりと暮れていた。
 船の歩みのために海面で発生するさざ波も、暗い色に染まっている。隣で立ちつくしているラチルの輪郭も、客船のほのかな灯火の逆光のために、淡い影にふちどられていた。

「ねぇ……あたしってそんなに似てる……? レイチェルさんに……」
 眼前に広がる遥かな海をみつめたまま、ラチルはポツリとつぶやいた。
 今、俺がレイチェルのことを考えていたことをラチルは気付いていたのだろうか。
「……ああ、とても」
 風が冷たくなってきた。そろそろ中に入った方がいいだろう。
「死んじゃってもう何年も経つのに、まだ忘れられないの……? 奥さんも子供もいるのに……?」
「…………」
 こんな質問をされるということは、やはり俺がラチルとレイチェルを重ねてしまっているせいなのだろうか。無意識にそういう雰囲気を醸し出してしまっているのだろうか。
 自分ではそんなつもりはさらさらないのだけれど……。
「いや、そんなんじゃないよ」
 俺は苦笑して答えた。……ラチルからはそういうふうに見えるんだろうか。

「レイチェルは――…」
 俺は今の想いを、ありのまま素直に言葉にしてみる。
「レイチェルは俺にとって………、そう、母親みたいなモンだったんじゃないかって思うんだ。今の俺があるのは、あいつのおかげって所がけっこうあるし……。……あいつに出会うまで、俺、けっこう乱れた生活してたからさ……。だから……、心のふるさとだよな。俺、ほんとうの母親って覚えてないもんだから、特にそう感じるのかもしれないけど……。だから、レイチェルはそんなんじゃないんだ」
 しばらくの沈黙の後、ラチルは小さなため息をついて空を見上げた。
「なんかロックって、レイチェルさんを崇拝してるみたい」
 ラチルは軽く微笑みながら、そう言った。
「はは……っ、そんなトコあるよな、言われてみれば」
 確かに、あいつを失った俺は盲目的に神の復活を求める狂信者的なところがあったのかもしれない。

 レイチェルが記憶を失ったあと俺はコーリンゲンを去ったが、ひそかに記憶を呼び戻す薬を探し求めて各地を転々としていたんだ。そして、コーリンゲンが帝国に砲撃されたことを知り――…、レイチェルが死んだことを知った。
 旅の途中、伝説だかおとぎ話だかで「失われた魂を呼び戻す秘宝」のことを小耳に挟んでいた俺は、レイチェルの遺体に、偶然できたじいさんの薬――物質の腐敗を抑制するものらしい――を投与してもらい、本当にあるかどうかもわからない秘宝を探し求める旅に出た。レイチェルを直接的に死に追いやった帝国への復讐を誓いながら……。
 他人を守ることに恐怖を覚えた時期もあった。けれども、レイチェルのようなことを繰り返すことのつらさに気付き、俺は他人を守ることに無我夢中になった。必死だった。あの頃の俺は、なんでもレイチェルに結びつけて物事を考えていた。今思うと、自分で自分を呪縛の鎖でがんじがらめにしていたのかもしれない。俺のすべてはレイチェルだった。
 セリスのことが気になりだしたときも、俺の中でその存在が大きくなりだしたときも、俺はレイチェルを甦らせることをひとときも忘れたことがなかった。
 ――あいつを蘇らせて、いったい俺はどうしたいのか――。
 それさえもわからぬまま、ただ、そうしなければならないと信じ、半狂乱なまでにレイチェルにすがっていた――……。

「―――くやしいな……」
 不意に、ラチルがつぶやいた。
「えッ?」
「だって、あたしはレイチェルさんに似てるんでしょ? だったら、あたしは恋愛対象にはならないってコトじゃない。あーあ、残念!」
「おいおい、あぶないこと言うなよ、俺、人夫( cf 人妻 )だぜ!?」
 何度もからかわれれば、俺だって対処の仕方ぐらい身に付いてくるってもんだ。
「俺にはちゃんとセリスっていうキレイな奥さんがいるんだから、ラチルはちゃ――んと同年代のステキな男を見つけなさい! まッ、俺ほどの男はそういないかもしれないけどなっ!」
「もぅ、うぬぼれちゃって……!」
 そう言って笑うラチルの表情は、なぜだか少し寂しげだった。――そう感じたのは、やっぱり俺がうぬぼれているからなのだろうか……?
 


 船は、それからまもなくしてアルブルグの港に到着した。
 あたりはすっかり夜のとばりが降りて、街の路地に立てられた街灯がオレンジ色の明かりでその足元を照らし出している。港から離れるにつれて行き交う人々も減り、俺たちの足音だけが舗装された地面に響く。ここからあと半刻も歩けば、セリスとレイラの待つ、郊外の家へとたどりつく。

「なぁ、チョコボ借りて別の街に行くっていっても、今日はこの街で宿を取るんだろ?」
 俺はラチルの方を振り返って尋ねた。
「ん? ……そうねぇ……」
 ラチルは小さめのトランクを抱えて歩きながらつぶやく。
「……良かったら、うちに泊まっていかないか? もう夜も遅いし、ラチルも宿代が浮くからいいんじゃないか?」
「…………」
 俺は至極あたりまえなことを提案したつもりだったが、ラチルは不意に立ち止まった。
「……――どうしたんだ?」
 ラチルはそのままうつむいて動かない。夜特有の張りつめたような空気に、虫の音だけがかすかに響いている。
 俺は怪訝に思ってラチルに歩み寄った。
「おい――…」
 肩に手をかけようとしたその瞬間、ラチルがバッと顔を上げて頬を膨らませる。
「もぅ! ロックってばあいかわらず女ゴコロわかってないんだから!」
 突然そんなことを言われれば、俺は何がなんだかわからず引っ込みのつかない手を持て余してなさけない声を出すしかない。
「は……はぁ? 俺、なにか悪いこと言ったか……?」
「あのね――…。久しぶりに帰ってきた夫に、こ――んなカワイイ女の子を夜中に連れて来られて、いい気持ちする奥さんなんていると思うの!? しかも、私は昔の彼女にうりふたつなんでしょう!」
 俺の鼻先に指を突きつけて軽くにらみつけたかと思うと、くるりと身を翻してラチルはいたずらっぽく笑う。
「それに、似合わないでしょ? こんな可憐な少女が、幸せな家庭を引き裂いてしまうのは!」
「よっく言うぜ!」
 俺は、ラチルの額を軽く弾いてみせる。
「か・ん・が・え・す・ぎ! 子供はそんな余計なこと考えなくていーの! セリスはそんなに心の狭い女じゃないし、俺は『可憐な少女』が一人で宿に泊まると、面倒なことに巻き込まれるんじゃないかと心配になったから、うちに招待したいだけなの!」
 俺のその言葉を聞いて、ラチルは薄く微笑む。
「ふふ、優しいんだね……。でも、ホントに大丈夫だから! ……もうすぐ、迎えも来るし……。ロックは、早く家族の所に帰ってあげたほうがいいよ」
「迎え? ラチル、この辺に住んでるのか?」
 俺のその問いかけには答えず、ラチルはくるりと身をひるがえす。
 通路わきの街灯が、ジジジ、と点滅した。さあっと吹き抜ける冷たい風が、街路樹の枯れ葉を舞い上げる。
「あー、楽しかった。今日はありがとうね、ロック」
 彼女はあくまでも正体を隠し通すつもりなのだろうか。
「また……会えるかな、ラチル」
「…………」
 俺の言葉に、ラチルは黙りこくる。
「いや、別に変な意味じゃなくてさ、友達としてだよ」
「……残念だけど。もう、会うことはないと思う。言ったでしょ? 私の自由は、これで終わりなの」
「…………」
 今度は俺が沈黙する番だった。
「いろいろあってね、もうこうやって歩き回ることはできなくなるかもしれないの。今回も、本当は無断で出てきたんだけど、見て見ぬ振りしててくれてたみたいで。……でも、約束けっこう破っちゃったから、もう二度目はないだろうな……」
 どこか寂しげなラチルの様子に、俺は戸惑いながらも思い切って尋ねてみる。
「病気、なのか?」
「…………」
「病気なんだったら、直せばいいじゃないか。なんなら、見舞いにもいくぜ? 場所、どこだ?」
「……ありがとう。でも、いいのよ。私のことは」
「見舞いが駄目なら、せめて手紙でも……」
「ロック」
 ラチルの紺碧の瞳が、俺の瞳を捉え、すっと離れた。
「私も今回の楽しい思い出は、神様からの素敵なプレゼントだったと思うことにする。……だから、ロックも私のことは、夢だったと思って忘れてね」
「ラチル……」
 
「…――ううん、私は……。そう、私はレイチェル」
 紺碧の瞳に哀しみとも愛しさともつかない色を浮かべて、ラチルが小さく呟いた。
「一日だけ、あなたに逢うために甦ったの。これは、ぜ――んぶ、幻なんだよ。だから、だから――…」
 ラチルは、そこまで言うと、うつむいた。
「ホントは、話をするつもりはなかったの。少しでも側にいられるだけでいいと思ったの。でも、偶然、ロックが声をかけてくれたから――…」
「…………」
 ラチルは一生懸命レイチェルになりきろうとしている。出会ってから今までの、俺の話の中からレイチェルの姿を探り出し、必死に演じようとしている。
「あなたと話ができて嬉しかった。元気にやってることがわかって良かった。あなたは全然変わってなくて、まるであの時のままだった。……本当に、楽しかった――…」
 そう言って瞳を閉じるラチルに、俺はそんなことはないと解っていても、またあいつの面影を重ねてしまう。
 俺の脳裏に、フェニックスの魔石を託したときのレイチェルの姿が甦る。あいつを取り戻すために必死だった俺。俺を縛り付けていた呪縛の鎖を、感謝の言葉で断ち切ってくれたレイチェル。過ぎ去った過去は捨て、新しい人生を歩むよう再び俺を導いてくれたレイチェル。
「……そっか」
 彼女があくまでもレイチェルを演じたいというのなら、俺もそれに応えよう。
「じゃあ、レイチェル。最後に一つだけ言わせてくれ」

「……いつまでも人の心配ばかりしてるんじゃないぞ。俺は見ての通りちゃんとやってるんだから、おまえはおまえで、あの世でしっかり自分の幸せみつけろよ」
 彼女は涙ぐみながら大きくうなずく。
 そんなラチルに、俺はポケットから取り出したブローチを手渡した。
「……これ……?」
 ブローチにはめ込まれた石と同じ色彩を放つ瞳が、俺を見上げる。
「おまえの故郷、コーリンゲンの近くの洞窟で掘り出したのを加工してもらったんだ。今日の記念に、受け取ってくれ」
「でも……」
 ラチルの瞳に、戸惑いの色が揺れる。そんなラチルに、俺は微笑みながらそっと言い添えた。
「誕生日だろ、今日」
 彼女は俺のその言葉をきいて、優しくエメラルドのブローチを抱きしめる。
「……覚えてて、くれたんだ……」
「忘れるわけないだろ」
「……ありがとう、ロック……」
「それはこっちのセリフだよ」
 俺は彼女の肩を軽く叩いて、今もこの世界に残っている魔法を唱える。

「いままで、ありがとう。おまえと過ごせて本当に楽しかったぜ」

「うん……、私も……!」
 しゃんと顔をあげて、ラチルが微笑む。その瞬間、何かに気付いてラチルはハッと息をのんだ。振り返ると、白い髭を立派に生やした初老の紳士が、銀杏の木の側にひっそりとたたずんでいた。

「じゃあ、私もう行かなきゃ……」
 ラチルがすっと身を離す。
「……奥さんと子供さんを、大事にね……」
「ラチル……!」
 なんだかそのまま消えてしまいそうな気がして、俺は身を翻して駆け出そうとするラチルを慌てて呼び止めた。けれど、そうしたからといって何がどうなるわけでもない。
 俺は、伸ばしかけた腕をおずおずと引っ込め、親指を立てて笑ってみせた。
「…――元気でな……!」
 ラチルも、上半身だけ振り向いた姿勢のまま、言葉を返す。
「今日、この日に、ロックに逢えて、よかった……!」

 突然、強い風が吹き抜けた。
 さあっと舞い踊る枯れ葉の渦。ラチルのスカート、長い髪。
 俺の前髪もその突風に吹き上げられ、顔面を容赦なくたたき付ける。
 俺はたまらずに目を閉じて髪をかきあげる。

 気が付くと、すでにラチルの姿はなかった。
 俺は、手のひらにかすかに残っている彼女のぬくもりを抱きしめたまま、しばしその場に立ちつくしていた。
 


「どうしたの、ロック? ぼーっとして」
 セリスが熱いレモンティーの入ったカップをテーブルに置きながら微笑みかける。
「いや、こうやって家に帰ってのんびりするのも、やっぱりいいもんだな、と思ってさ」
「そうでしょ?」
 角砂糖を入れ、銀色のスプーンでティーカップをかき混ぜる。
「レイラもね、ロックが帰ってくるのをすごく楽しみにしてたのよ。『帰ってくるまで起きて待ってる!』って言ってたんだけどね、ついさっき疲れて寝ちゃったみたいなの」
 一人娘のレイラは、すでにベッドで寝息をたてていた。あまりにも幸せそうなその寝顔に、ついつい顔がほころんでしまう。楽しい夢でも見ているのだろう。
 起こしてしまわないようにそっと布団を直し、おやすみを告げ、俺は寝室を後にした。
「そうか。じゃあ明日、しっかり遊んでやらないとな」
「よろこぶわ、きっと」

 待っていてくれる人がいるのは、本当に嬉しいものだ。
 それだけで『然るべき場所に帰ってきた』という実感がわいてくる。

「あっ、そうだ、食事は? 食べてきた?」
「いや。なんか軽いの作ってくれないか」
 午後にラチルとラウンジで軽食を取ってから何も口にしていなかったので、俺はそう答えた。久しぶりにセリスの手料理を食べたかった、というのもある。
「わかったわ。ちょっと待ってて」
 セリスが立ち上がり、キッチンに向かう。
 鼻歌まじりに聞こえてくるトントントンという包丁のリズム。タマゴを割り、かき混ぜる音。しばらくすると、オリーブオイルの芳ばしい香りが漂ってきた。

 
  ラチルが何者なのか、結局俺にはわからなかった。
 けれど、深く考えるのはやめることにした。
 ラチルは、ラチル。他の何者でもない。 
 彼女と過ごしたひとときが楽しいものだったのは事実。
 そのことに礼を言いたかったのも事実。

 けれど、あいつに感謝の言葉を返したかったのも真実……。
 
 今日がレイチェルの誕生日だというのは、本当のことだ。
 あいつがあの吊り橋から落ちた時から、ちょうど10年の歳月が流れたわけだ。
 そして、10年ぶりに、あの花畑に立ったんだ。
 あの景色も、俺の記憶のままだった。
 誰が進入した形跡もなく、ただ、つつましく咲いていた。

「あなたがくれたしあわせ、ほんとうに、ありがとう」
 レイチェルの、最期のことば。
 けれど、本当に礼を言うべきなのは、俺の方なんだ。
 いくら言っても足りないくらい、感謝している。
 それなのに、何も言えないままあいつは逝ってしまった。

 だから、レイチェルによく似たラチルに向かって「ありがとう」と言えたことで、俺はなんだかスッとした爽快感を覚えた。胸にひっかかっていたちいさなちいさな心残りのカケラが、取り除かれたような気がしたんだ。

「お待ちどうさま、出来たわよ」
 セリスが湯気の立ち上るスープと炒め物を持って戻ってくる。
「サンキュ」
 オニオンスープをひとくちすする俺を見やり、セリスは向かいの椅子に腰を下ろした。指を互い違いに絡ませ、その上に顎を乗せ、微笑みながら俺を見つめる。
「で、どうだったの? 久しぶりのの旅は?」
「うーん、そうだなぁ……」

 俺は、復興にいそしむ人々や街の様子、力強く緑を育む大自然、そしてエドガーが宜しく言っていたことなどを話してきかせた。
 しかし、ラチルのことを話すつもりはない。
 あの花畑のことを話すつもりもない。
 レイチェルのことを引きずっているわけではない。過去に縛られているつもりもない。けれど、あの景色は俺の、俺だけの唯一の宝物なんだ。少なくとも、今のところは。

  親にも兄弟にも 親友にも恋人にも
  伝えたくない、何か。
  なんとなく 今だけは ひとりだけで抱えたいもの。
  誰でもそういうものをひとつは持っているはず。
  大切な、こころの糧。
  自分を支える、追憶の至宝。

 だけど、いつか……。
 何年先のことになるか、俺自身にもまだわからないけれど。
 きっと伝える日がやってくる。
 今はまだ 色褪せない、俺の青春の想い出を。

 セリスの穏やかな微笑みを前に、俺は強く心に誓った。

  セリスとレイラと俺、3人でいつかあの花畑を見に行こう……。
 

END
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