人混みの中、少女は息をひそめて「彼」を見つめていた。 「話しかけたい」 「言葉を交わしたい」 しかし、少女にはそれができなかった。 風に揺れる、灰褐色の髪。 人なつっこそうな印象を与えるダークブラウンの瞳。 屈託のない笑顔。 輝ける太陽のもと、大自然を駆けめぐる姿。 一見悩みなど無さそうにみえても、 それは周囲に心配を掛けたくないがためであること。 少女は「彼」のことをよく知っていた。 その姿を見るだけで、少女の胸は一杯になった。 けれど少女は「彼」の前にその姿を現そうとはしなかった。 「恋」なのか「愛」なのか それとも、もっと別のものなのか。 そんな分類さえ、少女の前では無意味なものでしかなかった。
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「ちょいと、そこのおにいちゃん、リンゴ、安いよ!」 「さあさあ、見てっとくれ! 掘り出し物がいっぱいだよ!」 客引きの威勢のいい声があちこちから聞こえてくる。人々の活気に溢れた、賑やかな街。久しぶりに訪れた、ニケアの街。 俺―ロック=コール(30)―は、手荷物の入ったリュックを担いで、さまざまな商品があふれかえる市場の雑踏の中をぶらぶらと歩いていた。古くから港町として栄えてきた場所であるせいか、ここはほかよりもずっと人々の熱気に満ちあふれている。 あれから、4年経ったんだよなぁ……。 ふと、俺は感慨深げにうなづいてみる。実はここ数年のところ、俺は旅なんてしてなかったんだ。いろいろと忙しくてね。それどころじゃなかったっていうのがホントの所かな。 ケフカをブッ倒してから数ヶ月後に、俺はセリスと結婚した。っていうか、結婚しざるを得なかったっていうか……。 えーと、その、つまり……。デキちゃった結婚、ってヤツだ。 でも、別に後悔してるってワケじゃないぜ。そりゃ、セリスに打ち明けられたときはかなりビックリしたけど、(エドガーに相談したらめちゃくちゃ呆れられたしな……。ははは……。)でも、セリスが大切な存在だってのは事実だし、セリスも俺のことを大事に思ってくれている。あの冒険の日々に芽生えた感情は、まぎれもなく本物だと、俺は胸を張って言える。 俺はあいつを、セリスをいつまでも守っていきたい。 それにしても、人間って強いもんだよな、と思う。 久しぶりにあちこちまわってみたけど、あれほど壊滅的なダメージを受けたにも関わらず、どの街も復旧作業は着々と進んでいた。大陸と大陸をつなぐ一般的な交通手段である定期船も、忙しく港を往来している。人々の心に、希望があふれている証。新しい時代を築こうと、みんな一生懸命生きてるんだよな。 焼けこげた大地からも、草木の新芽が顔を出し始めていた。 あたらしい、生命。 俺たちの娘、レイラもすくすくと育っている。 「レイラ」。それが、娘の名前だ。 女の子だったらこの名前にしたい、とセリスが付けたんだ。レイラの「レイ」はレイチェルから取ったらしい。レイチェルが、俺にとってかけがえのない存在だということを知ったうえで、その想いを忘れてほしくないから、と。 本当はセリスとレイラもこの旅に連れて来たかったんだけど、レイラがまだちいさいってこともあって、今回は一人旅ということになったんだ。 今回の旅のルートは、比較的単純なものにした。あまり長く家をあけるわけにもいかないからだ。……なら旅なんかしなきゃいいじゃないかって言われるかも知れないんだけど、うーん……、無性に心がうずくっていうか、何かが俺を呼んでいるような、まぁ、とにかく理屈じゃないんだよな。 でも、いくら数年前まで世界中を駆け回っていたとはいえ、子供の頃から染みついた放浪癖ってのはなかなか抜けないもんなのかな。 我が家があるアルブルグから定期船でサウスフィガロに向かい、フィガロで休養を取ってコーリンゲンへ。そこでレイチェルの墓参りをして、コロシアムを観戦に来る人たちの足がかりとしてつくられた新しい港町ノルズポートからニケア経由でアルブルグへ帰ってくる、と。 ちょうどこのニケアで物資の積み込み作業やらなんやらがあるということで、俺はしばらくこうやって時間をつぶしていたわけなんだ。 俺は街の空気を胸郭いっぱいに吸い込んだ。
今回の旅の収穫は、コーリンゲンで買った小さな熊の木彫りの置物とノルズポートのタペストリー、俺が自分で洞窟で掘り出したエメラルドの原石をブローチに加工してもらったもの。
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飛空艇で大空を自由に飛び回るのは、とても気持ちがいい。チョコボに乗って広大な大地を駆けめぐるのも、決して悪くない。 でも、船旅は時間を忘れさせてくれるような気がする。何処までも続く大海原で、ボーっと波のさざめきだけを見つめていると、なんだか昔のことがいろいろ思い出されてくるんだ。 懐かしいこと、嫌なこと、楽しかったこと。……あ、いっとくけど、俺は船酔いはしないぜ。……確かに吐いちまったことは一回だけあるけど、あれは寝不足だったからだよ。 俺は船に乗り込み、甲板にあがった。 平日とはいえ、船は程よく混んで賑わっている。船の高みから桟橋のあたりを見おろすと、新婚旅行に出かけるのであろう若いカップルとその知人たちが花束や言葉を交わしあっていた。
出航の時間が間近に迫ってきたらしく、ここでも最後の別れを惜しむ人々が必死に手を振りはじめた。彼らの邪魔をするのも何だから、俺はしばらくこの場を離れることにした。出航してしまえば、ここも落ち着くだろう。
旅行鞄を抱えてごったがえす人々の間をぬって、ひとりの少女がゆっくりと通り過ぎてゆく。
「ゴメン、人違いだった。ちょっと知り合いに似てたもんだから……」
「ふうん、そうだったの……」
「ねぇ」
「そのレイチェルってひと、ロックの初恋の人なの?」
ふいにラチルが、何か思いついたようにパチン☆と手をたたいた。
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ラチルは、つかみどころのない変わった娘だと思う。 ころころと無邪気に笑っているかと思えば、ふと大人びた寂しそうな表情をみせる。……いや、俺が彼女の寂しそうな表情に気付くと、ラチルは慌ててはしゃいでみせているようにも感じる。……レイチェルでないことは確かなんだけども、どことなく本当にレイチェルっぽいような雰囲気も……ないこともない……。 いや、彼女とレイチェルを重ねることは、彼女にもレイチェルにも、そしてセリスにも失礼なことだというのは充分わかっている。 レイチェルが再び俺の前に現れてくれるなんて、そんなマンガや小説みたいなことあるわけないことも承知してるさ。 だが、彼女はあまりにも謎が多くて、そういう疑惑を持ちたくもなるんだよ。 ラチルは、ひとりで船旅を楽しんでいるということだった。
とにかくラチルは、俺の話を聞きたがった。レイチェルのことやセリスのこと、冒険の旅のことや今の生活のこと、なんでも。
……もしや、別れ際に金をせびろうってんじゃ……?
「おそかったね、ロック」
「……なあ、ラチル」
俺はあごに手を当てて、ラチルの正体についていろいろと考えをめぐらせる。
「…―――ぷっ」
「でも、ロック」
美しい風景は、人の心に残るものだ。
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レイチェルには、野の花がよく似合う。 バラとかユリとかの華やかな花よりも、道端につつましく強く咲いている素朴で可憐なちいさな花が、レイチェルのイメージそのものなんだ。 「うわぁ、これ、キレイね!」
俺は、こんなに満たされた生活を送るのは初めてだった。
澄んだ空、みどりの香り、手作りのお弁当。
俺は物心がつく前から、トレジャーハンターである親父と各地を転々としてきた。古びた遺跡や大きな建物に進入しては、そこで手に入れた物を売り払って食べてゆく……、そんな生活を送っていた。
親父は、もしもの時のために、幼い俺にさまざまな処世術をたたき込んだ。子どもが1人、この世界で生き延びてゆくためにはどうすればいいか、を。
知った者もなく、幼い少年が一人。何をすればいいのかもわからぬまま、時だけがゆっくりと流れてゆく。誰もいない部屋の隅で膝を抱えていた俺は、ふと忘れかけていたことを思い出した。
旅を続けながら簡単に金を手に入れるには――…。
そういった生活から俺が抜け出すきっかけとなったのが、レイチェルだった。俺は、なぜこいつが他人のことを、街で偶然出会っただけの初対面の人間を、そんなにも心配できるのかわからなかった。でも、まっすぐな瞳が俺の心を捉えて離さなかった。
いつの日か世界中を股にかける最高のトレジャーハンターになって、この世で最高の宝物――レイチェルを、手に入れることを夢みて――…。 「そんなに気にいったんなら、やるよ、ソレ」
俺は苦笑しながら、ふと思い出した。
しかしそれは果たされなかった。
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日はもうすっかりと暮れていた。 船の歩みのために海面で発生するさざ波も、暗い色に染まっている。隣で立ちつくしているラチルの輪郭も、客船のほのかな灯火の逆光のために、淡い影にふちどられていた。 「ねぇ……あたしってそんなに似てる……? レイチェルさんに……」
「レイチェルは――…」
レイチェルが記憶を失ったあと俺はコーリンゲンを去ったが、ひそかに記憶を呼び戻す薬を探し求めて各地を転々としていたんだ。そして、コーリンゲンが帝国に砲撃されたことを知り――…、レイチェルが死んだことを知った。
「―――くやしいな……」
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船は、それからまもなくしてアルブルグの港に到着した。 あたりはすっかり夜のとばりが降りて、街の路地に立てられた街灯がオレンジ色の明かりでその足元を照らし出している。港から離れるにつれて行き交う人々も減り、俺たちの足音だけが舗装された地面に響く。ここからあと半刻も歩けば、セリスとレイラの待つ、郊外の家へとたどりつく。 「なぁ、チョコボ借りて別の街に行くっていっても、今日はこの街で宿を取るんだろ?」
「……いつまでも人の心配ばかりしてるんじゃないぞ。俺は見ての通りちゃんとやってるんだから、おまえはおまえで、あの世でしっかり自分の幸せみつけろよ」
「いままで、ありがとう。おまえと過ごせて本当に楽しかったぜ」 「うん……、私も……!」
「じゃあ、私もう行かなきゃ……」
突然、強い風が吹き抜けた。
気が付くと、すでにラチルの姿はなかった。
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「どうしたの、ロック? ぼーっとして」 セリスが熱いレモンティーの入ったカップをテーブルに置きながら微笑みかける。 「いや、こうやって家に帰ってのんびりするのも、やっぱりいいもんだな、と思ってさ」 「そうでしょ?」 角砂糖を入れ、銀色のスプーンでティーカップをかき混ぜる。 「レイラもね、ロックが帰ってくるのをすごく楽しみにしてたのよ。『帰ってくるまで起きて待ってる!』って言ってたんだけどね、ついさっき疲れて寝ちゃったみたいなの」 一人娘のレイラは、すでにベッドで寝息をたてていた。あまりにも幸せそうなその寝顔に、ついつい顔がほころんでしまう。楽しい夢でも見ているのだろう。 起こしてしまわないようにそっと布団を直し、おやすみを告げ、俺は寝室を後にした。 「そうか。じゃあ明日、しっかり遊んでやらないとな」 「よろこぶわ、きっと」 待っていてくれる人がいるのは、本当に嬉しいものだ。
「あっ、そうだ、食事は? 食べてきた?」
けれど、あいつに感謝の言葉を返したかったのも真実……。
「あなたがくれたしあわせ、ほんとうに、ありがとう」
だから、レイチェルによく似たラチルに向かって「ありがとう」と言えたことで、俺はなんだかスッとした爽快感を覚えた。胸にひっかかっていたちいさなちいさな心残りのカケラが、取り除かれたような気がしたんだ。 「お待ちどうさま、出来たわよ」
俺は、復興にいそしむ人々や街の様子、力強く緑を育む大自然、そしてエドガーが宜しく言っていたことなどを話してきかせた。
親にも兄弟にも 親友にも恋人にも
だけど、いつか……。
セリスの穏やかな微笑みを前に、俺は強く心に誓った。 セリスとレイラと俺、3人でいつかあの花畑を見に行こう……。
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